あなかしこ 第62号

あとがき

あるご葬儀の帰りに「清め塩」の入ったお礼状をいただいた。お他宗のご葬儀でも見かけることが少なくなっていたし、見るとしても出口に「ご自由に」と置かれているくらいだったので、少なからず驚いた。さらに驚いたのは「清め塩」は不要と説明する「通夜・葬儀のこころ」という大谷派のリーフレットも添えられていたことだ。葬儀社の責任は重いと思う。▼数日後、伯父の葬儀があり京都に赴いた。伯父の家はお西の門徒で、阿弥陀経や正信偈など、なじみのあることばが異なった節で称えられることは新鮮だった。収骨の際、長い箸でお骨を持ち上げながら、幼い頃の祖父や祖母の葬儀ではこれを二人でしていたことを思い出した。四十年ほど前には、真宗の家の葬儀でもそれを疑問に思う者は少なかったように思う。▼時は移り、葬儀のあり方も変わってきた。ひとのいのちを粗末にするような「迷信」が排除されることはよいことだと思う。私は迷信を迷信として退ける家に生まれ育ったが、これはかなわないと思った友人がいた。遠足の弁当に持って来たゆで卵に「清め塩」が添えられていたのだ。あの塩は食べてもかまわないものだろうか。いや、純粋に食品の安全性の問題として。(わ)

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