あなかしこ 第58号

法話 - 東京二組C班「いのちのふれあいゼミナール」

開催日 2015年3月28日(土)
会場 宗念寺
講題 驚き・発見・出立
講師 百々海真先生 東京六組・港区芝 了善寺住職 49歳

「驚き・発見・出立」

  • 百々海真先生

こんにちは。港区芝の真宗大谷派了善寺をお預かりしています百々海真と申します。今回のテーマとして掲げました「驚き・発見・出立」という言葉は、林暁宇ぎょうう先生の最晩年のご法話からいただきました。林先生は2007年4月29日に浄土に還られましたが、約1か月前の3月25日に石川県の広大舎で話され、「君は君の願いに生きていけ」という小冊子として出版頒布されている今生最期のご法話です。

出遇いには、まず「驚き」があります。今まで夢にも思ったことのないようなことに出遇った驚きです。そんなことはわかっていたとか知っていたということではなく、まったくの驚き。「驚き」と同時に「発見」。目が覚める。そして同時にそこから「出立」。出発。発心。ああそうか、これでわかったで終わるなら出遇いとはいえない。新しい歩み、人生が、そこから始まる。こういうことが備わったものを「出遇い」というのです。
(林暁宇講述「君は君の願いに生きていけ」 具足舎 35頁)

「驚き・発見・出立」とは、日常的に使っている言葉ですが、ここでは仏法との「出遇い」の内実を表現しています。浄土真宗とは出遇うものなのですね。この私が出遇うことがなく、「ウチの宗旨は浄土真宗」というだけでは、実は浄土真宗は行方不明なのです。むしろ「ウチの宗旨」が聞法のきっかけ、縁になって、教えに遇う。私に先立って浄土真宗に生きる人に遇う。その「出遇い」が「驚き・発見・出立」なのですね。

今まで夢にも思ったことのないようなことに出遇った驚きです。そんなことはわかっていた、とか知っていたということではなく、まったくの驚き。「驚き」と同時に「発見」。「目が覚める」とありますが、「正信偈」に「破無明闇」(無明の闇を破す)とあります。「闇」というのは人間、仏眼に映った私の姿です。自分の考えだけを絶対だとしているあり方、それが確かかどうかを一度も確かめたことないままに自信満々な私を「闇」という一文字で教えて下さっています。私たちは「闇」の中にいること自体が見えていないのです。そこに教言が光の如くにはたらく。光が射すとは、見えるということ。何が見えるかと言えば、「ああ、私は何も見えていなかった。闇の中にいたのだ」と見えてくる。それが「破す」です。破る力が仏法、破られるのは立場とし絶対化している私の思いです。その「驚き」。「驚き」とは破られる、デタラメをやっているなと知らされる時です。

私たちが教えに遇うとは、光に出遇うことなのです。和讃に「法身の光輪きわもなく / 世の盲冥をてらすなり」とあります。照らされてみたら「世の盲冥」であることが「いま」初めて見えた。「盲」とは、肉眼の視力を失っていることではなく、眼がありながら真実が見えていないこと。心の眼が塞がっていることです。「冥」は、暗がりという意味です。ですから「盲目であることにもくらい」、真実が見えていないことさえ見えていない私だと照らされましたということです。「驚き・発見・出立」という言葉は、「出遇い」の内実ですが、それまで立場にしていた我が思いが翻されること、言い換えれば「回心」です。「出遇い」とは、予期せぬ形で、思いがけなく「ああ、何も見えていなかった」と我が思いから解放される一瞬なのです。

「出遇う」ということ

『仏説無量寿経』(『大経』)に釈尊(お釈迦様)と阿難(アーナンダ)との出遇いが描かれています。親鸞聖人はその「出遇い」を『教行信証』教巻に引用されており、またご自分の言葉で「和讃」として表現されています。

尊者阿難座よりたち
世尊の威光を瞻仰し
生稀有心とおどろかし
未曽有見とぞあやしみし
(「浄土和讃」 『真宗聖典』483頁)

これはお釈迦様の説法を長年聞いていたアーナンダがその日に限って思わず立ち上がったという場面を詠っています。「大経和讃」の一番初めに置かれています。『親鸞和讃集』(岩波文庫 名畑應順校注)の訳では「仏弟子阿難尊者は、世尊の前に進み出て、その(釈尊の)光り輝くみ姿を仰ぎ見て、有難さに心驚き、未だかつてこのようなみ姿を見奉ったことがない。何故だろうかと怪しんだ」とあります。

阿難は、お釈迦様の光り輝く姿を見て感動して、思わず自席から立ち上がった。しかもびっくりしている自分にびっくりしているのです。「何故だろうかと怪しんだ」。この「怪しい」は、正体がハッキリしないとか不審という意味ではなく「不可思議」でしょう。自分の上に起こっていることが自分の持前の考えや言葉では表現できない。摩訶不思議という神秘ではなく、わが身に起こっていることの由来がわからないことを意味します。

仏弟子伝では、阿難は釈尊55歳の頃より25年間にわたってお釈迦様のいわば秘書役をなさっていたと言われています。誰よりも身近に、多くの説法を聞いていた。だから阿難は釈迦十大弟子の一人として「聞法(多聞)第一」、仏法を聞くことについては仏弟子中随一であったといわれています。ですからこの日釈尊のご説法を初めて聞いたわけでもなく、お釈迦様に初めて会ったわけでもないのです。しかも多くの説法を正確に記憶されていたと伝えられています。

実はお釈迦様は、その日に限って光輝いていたわけではありません。それまでも全く同じ御姿だったのです。ですから「座よりたち」とは、阿難自身の眼がひっくり返ったということです。それまで座り込んでいた自分のモノサシから離れた時、幾度となく眺めてきた光景が一変した。初めて見えたのです。

例えば、お寺には数えきれないほどに足を運んでいるけれども、お墓参りの場所としてしか会っていなかった。寺と言ったら、イコール墓参り。その先入観から一歩も出ない。ですから行事の案内が届いても、寺報を手にしてもビクともしない。けれども何かを縁として、お寺をお寺として、わが道場として出遇い直すことがある。それは持ち前の固定観念が期せずしてひっくり返ったということでしょう。

阿難は「聞法第一」ですから、その年数や回数という量の面でも抜きん出ていた。しかし阿難はこの日初めてお釈迦様に出遇ったのでした。逆に言えば、真剣に聞法していたけれども阿難は出遇えなかったのです。会っていながら遇えない。「出遇い」を邪魔していたのは、何なのでしょうか? 阿難は聞法の回数が足りないどころか、しかもお釈迦様のご説法の縁を幾度となく重ねておられた。しかし遇えなかった。私たちも「聞いていけばそのうちにわかる」と思っている限り、遇えないのかもしれませんね。

蓮如上人の教えを受けた法慶坊は、「聴かば、かどをきけ」(『蓮如上人御一代記聞書』50条 『真宗聖典』865頁)といわれます。「かど」とは、切っ先・突出した部分ですから、いわば要点、ポイントです。仏法とは、この私に何を呼びかけているのかを集約した一点です。

法話を聞かれて「今日はいいお話だ」という時もありましょうし、「今日は何を言っているか、さっぱり分からない」という時もありますね。法話を聞いて良い、悪いというのも問題ですが、もし良かったというなら、どこがどう良かったのか。分からないというならば、どこがどう分からないのか。それを確かめない限り、自分の考えに合うものは手を叩き、自分の考えに合わないものは排除しているだけではないだろうかと松本梶丸先生は繰り返し教えてくださいました。確かに法話を聞くといっても、自分の物差しで法話を観賞する繰り返しであるならば、「驚き」どころではない。立場としている自分の物差しをどこまでも延長しているだけの話になります。具体的には自らにハッキリしないことが何なのか、そこを突き詰めていく。お仲間と語り合う。一人では聞けないのですね。そしてこの耳では聞けないということこそが要ではないでしょうか。

お若い頃に大谷派教師資格を取得され、生涯にわたって仏法を聞かれた網野好子さんという方がおられました。三郷にお住まいで、二組の前組長の本多雅人蓮光寺ご住職とも交わりがありましたし、蓮光寺さまの行事にもよくお参りされていましたから、遇われた方も多かろうと思います。網野さんは2008年1月に癌を縁としてお浄土に還られましたが、お元気な頃は、毎年秋には京都高倉会館での「親鸞聖人讃仰講演会」に欠かさずお参りされていました。本山報恩講の11月26日から28日まで、3晩にわたって2人ずつが出講される伝統ある会座です。遠出が叶わなくなった頃、網野さんが私のところに電話してきたことがあります。「今年も讃仰講演会に行くんでしょ? 録音してくれても、こっちは耳が遠くて聞き取れないの。だから帰ってきたら、今年の高倉会館での法話の内容を一言で言ってね。一言でね」と。3晩にわたって2人ずつ、時間にしたら計7、8時間もの法話を一言で伝えよとは、その時は半ば冗談としてしか受け取れなかったのですが、仏法の聞き方を教える意図もなく教えてくれていたのだなと最近気づきました。「一言でね」という「一言」です。

その意味では「驚き・発見・出立」というのは「一言」に出遇うことです。親鸞聖人の、あるいは蓮如上人や清沢満之先生の「一言」、また、お念仏にご縁のあった自分の家族の仰せということもあるでしょう。「よきひとのおおせ」です。金子大榮先生の言葉ですが、「宗教とは、生涯を託して悔ゆることのない、ただ一句の言葉との出遇いである」と。ですから、常に私における「一言」に聞く。その「一言」に立って聞く。聞法とは、話を聞くかたちをとりますが、実は「一言」に出遇うこと、「よきひとのおおせ」を賜ることです。「仰せの通りの私がここにおります」、「ハイ」と頷く他ない「一言」。私以上に私を知り通した智慧の言葉に言い当てられる。あたかも光であるかのように私の迷いの原因を照らし出してくださる「一言」に出遇う時を恵まれる。それこそが「驚き・発見・出立」ではないでしょうか。

変わらない法則

お釈迦様は元々光り輝いていたのです。光り輝いていたのだけれど、阿難の眼にはそう見えなかった。この日に限ってお釈迦様がキラキラ輝いていたという話でもありません。見えども見えず、聞けども聞こえずということが初めて見えた。見えていないことが見えたとでもいいましょうか。仏法に限らず、そういう気づきが人間に起こることを教えてくれた新聞記事があります。

それは毎日新聞に掲載されていた女性宇宙飛行士の向井千秋さんのインタビュー記事です。宇宙飛行士は、フライトの前に無重力状態の訓練をするフライトシミュレーターに繰り返し乗り、人工的に無重力状態を作った中で食事をしたり機械を操作したりするのだそうです。疑似体験とはいえ窓には実際の宇宙の映像が映し出されるそうです。向井さんは「宇宙に行くと、人生観が変わるとか、人によっては神秘体験をする」と聞いてもいましたが「無重量の珍しさや、上空から地球を見た時の美しさは、宇宙に行く前にある程度予想がついていたせいか、さほどの感動は覚えなかった」と言われています。自分の人生観を揺るがすような驚きの体験にはならなかった。地上の訓練で既に体験済で、予想通りだったということでしょうか。

ところが「その代わり、地上に戻ってきてからの驚きは大きかった」と。未踏の無重力空間に行ったことよりも、重力の世界、つまり元々いたこの地上世界に帰って来てから驚いたというのです。向井さんは「その代わり、地上に戻ってきてからの驚きは大きかった。一枚の紙にさえも重さを感じる。すべての物体が地球の中心に向かってものすごい速さで引かれていることが実感できる」と述べておられます。

現在、この私も皆さんも椅子も足元に置いている鞄も全部が地球の中心に向かって重力の法則によって引っ張られている訳です。重力の法則などとことさらに言わなくても、その法則の中に私たちはいます。既に運ばれています。そう思ってもそう思えなくても、そのはたらきの中です。向井さんでいえば、無重力空間に触れて初めて、自分が長年生きてきた重力の世界が見えたというのです。

実はこの点は、仏法も同じでしょう。お釈迦様がこの世にお出ましになろうとなるまいと変わることのない法則を言葉にしているのが仏教です。お釈迦様は発見者であって、発明者ではないと言われるところです。

向井さんは、宇宙飛行の体験を小学生や中学生に向かって語る時にサングラスをたとえとして話すそうです。「青いサングラスをかけていると青いものが見えない。同じように、地球では我々は生まれながらに重力のサングラスをかけている。宇宙から戻ると、それまで見えなかった世界に我々が生きていることがわかる」。異質な無重力空間に触れて地球に帰ってきたら、元々いた地上世界の景色が変わったのです。それを青いサングラスに喩えて、青いサングラスをかけていると青いものは見えない。そのサングラスは生まれつきだから、青いものが見えていないことも知らぬまま。我々は生まれながらに重力があることを前提としている。だから重力の中にいながら、しかも重力について勉強していながら、重力が見えない。そのことに向井さんは気づかれた。サングラスは日本語でいえば「色眼鏡」ですから意味深です。人間の盲点、闇が闇と知れた。重力の中にいながら、しかも重力について勉強していながら、重力が見えない。この「重力」を「仏法」に置き換えると、向井さんだけの話ではなくなりますね。どんなことでも対象化する分別の知恵に立つ私たちには、最も身近なことが最も遠いのです。

仏法とは、私を言い当てている智慧なのです。「あなたは、こういうものだ」と教えてくださる。となれば、「その通りです」とうなずく以外に出遇うことはない。そのうなずきの内実を「驚き・発見・出立」という三つの言葉で教えてくださっていると私は受けとめています。

聞法以外に仕事なし

石川県の片山津という温泉町に「やわらぎ」という老人保健施設があります。石川県美川の仏壇職人であった勝見博徳・喜巳博氏父子が「人生の終焉期にお念仏の声の聞こえる施設を」と一念発起して、社会福祉法人を設立したのです。78床の老健とデイケアサービスが併設されていますが、その施設では毎月2回の聞法会を開いています。毎月の聞法会には40人前後が参加されています。ですから、老人保健施設がそのままお寺になっているのです。

ところで今日は土曜日ですけど、ご家族に「今日、お寺で聞法会があるから私と一緒に行こう」と一声掛けて下さいましたか? まさか「お寺さんとのお付き合いは、私が元気な間は私がやっておくからね」なんて言ってないですよね? 「わかきとき、仏法はたしなめ」(『蓮如上人御一代記聞書』65 『真宗聖典』867頁)と蓮如上人はおっしゃっています。若い時から聞き始め、生涯聞き続ける。一生聞法。それでは年老いた人はどうするのか。もう残り時間がないのだから、毎日でも聞いてもらわなければなりません(笑)。これは冗談を言っているのではありません。本当のことを言っているのです。

「やわらぎ」では毎年報恩講を勤めておられます。私もここ数年ご縁をいただいています。車椅子のままお聞きになっている方もおられますから、簡潔に25分ずつ2席の法話をさせていただいています。そこには、一番前でうなずきながら聞いておられるお婆ちゃんがいます。本当に良いお顔で聞いておられるのです。良いお顔というのは、聞法以外に仕事がないということがハッキリしているお顔です。ある時に法話を終えて声をかけたら、実は耳が聞こえておられませんでした。今笑った方がいらっしゃいましたが、冗談を言ったのではありません。聞法以外に仕事がない、そのお方を讃嘆しているのですよ。笑う話ではないのです。聞こえる世界があるということをあのお方はお姿で見せてくださる。おそらく若い頃から聞いていたことが、内から聞こえてくるのではないですか。そもそも耳が聞こえなくなって、聞法に出かけますか。聞こえる耳があってもなかなかお参りしない私ですから、声が届かなくなったら──。その婆ちゃんは居眠りもなさらず聞いています。そして、時折膝を叩くように、大きく頷かれる時があります。こちらの声は届いていないはずなのに、「ここぞ!」というところが響いているのでしょうか。全身が耳になっているといいましょうか、実に確かな聞き方です。お念仏の教えは、こういう人を生み出してきたのです。

「真宗宗歌」の歌詞に「ひたすら道を 聞きひらき / まことのみむね いただかん」という一節があります。「ひたすら」とは、「他になし」ということです。道を聞きひらく他に仕事はないということなのでしょう。何しに生まれてきたかが不明確なままに死ねますか? 死ねると言おうが言うまいが、この因縁の法則は縁が尽きれば待ったなしで私を運び去りますが、この世に生まれてきた目的をあきらかにすることこそ、ほんとうの仕事ではないでしょうか。「ひたすら道を聞きひらき、まことのみむねをいただかん」。「まことのみむね」とは、漢字で書けば「真宗」でしょう。「いただかん」とは、「いただきたい」「獲得したい」という意欲です。私が私であることを果たせる一点、立脚地をいただきたいと「ひたすら道を聞きひら」く人こそが真宗門徒だとこの歌は教えてくれています。

この「真宗宗歌」があらわす世界を私に身を以て見せてくださった先達の一人に、玄田ヨシさんというお婆ちゃんがおられました。石川県の広大舎という道場で数年にわたって顔を合わせていた方です。当時は石川県小松市に暮らしていて、毎日のように聞法の会座に身を運んでいた小柄なお婆ちゃんでした。この方が、ご主人が先立って独り身となった東京の娘さんの所へ引っ越してきた。小松にいた時と同じように東京でも聞法を──と思ったけれども、石川県は県内の仏教寺院中約69%が真宗寺院という土徳ある地域ですが、東京都では真宗寺院が占める割合は約11%に留まります。ましてや伝道教化に注力している寺は更に少ない現状ですから、聞法できる場所がない。そんな中で私のことを思い出して下さって、法友から私の連絡先を聞いて、連絡を下さいました。ちょうどその2週間後の土日が自坊の報恩講でしたから、そのことをお伝えしました。逮夜は土曜日の2時から勤まるのですが、その1時間前には娘さんと一緒に来られ、本堂中央の最前列に座っていました。本堂は後ろから埋まるのが常なのですが──。

久しぶりにお顔を見た玄田さんに「ご無沙汰でした。お久しぶりですね。お元気でしたか。東京に引っ越してこられているのを知りませんでした」と世間心を立場としている私は世間の挨拶しかできません。玄田さんは当時92歳。耳は聞こえるし、足腰は弱られたものの少々の段差なら上がれる様子でした。(翌年9月、93歳を以て今生の命を果たされました)

「ご無沙汰でした」と私が挨拶しましたら、玄田さんは何の前置きもなく開口一番「燃える生き方を教えてください」と言われました。端的な問いでした。92歳の身を引っさげて「燃える生き方」を求めているのです。私は一瞬言葉に詰まるほど、驚かされました。私の常識に立てば、92歳にもなって「燃える生き方」なんて、むしろ常識外れの言葉ですね。しかし「出発・出立・発心」というのは、こういう世界でしょう。私たちは、「もうこれまでだ」「人生ももう先が見えた」と決めてしまうわけです。決めつけては閉塞している。それを『大無量寿経』では「心塞意閉」という言葉で言い当ててくださっています。自分の思いに閉じこもるのです。

ところで皆さんは「燃える生き方を教えてください」と尋ねられたら、どのようにお答えになりますか? 真剣な問いです。その時に私が知らされたのは、「燃える生き方」を求めているお婆ちゃんが既に燃えつつあるということ。どこか彼方に別事として「燃える生き方」があるわけではない。「燃える生き方」を求めているその姿がすでに燃えている、火がついているのです。ですから「もう燃えていますね」とだけ言って、翌日の日中法要には池田勇諦先生をお招きしていたので「明日、池田先生がいらっしゃいますから、どうぞ先生に聞いてください」と申し上げました。

翌日に報恩講が終わり、玄田さんも含めて残った参加者と池田先生を囲んで懇親会を開きました。せっかくだから単に飲むだけではなく、互いに感想や疑問を語り合おうとマイクを用意していました。皆さんもご経験がありましょうが、そういう場面では誰もマイクを持とうとしないものです。けれども、玄田さんは、さすがでした。真っ先にマイクを手にして、「燃える生き方を教えてください」と池田勇諦先生に質問を投げかけました。先生は玄田さんとは初対面であったはずですが、きっとその声と姿から何かを感じとられたのでしょう。「あなたは地獄一定に立っておられますね」。池田先生の応答はこの一言だけでした。玄田さんは「はい」。それで問答は終わり。実に鮮やかです。何の説明もなし。「はい」の一言でした。

仏とは「はたらき」であり、人間を「目覚ます力」です。それは私を言い当てる言葉であり、真に取り組むべき一大事に導く力です。それがあたかも光のようにはたらく。親鸞聖人は、そのはたらきを十二光として讃嘆されています。「正信偈」には「普放無量無辺光 / 無碍無対光炎王…」と十二光が詠われていますが、その一つが「光炎王仏」です。仏・如来とは、固定したものではない。「おはたらき様」と言われた方がおられますとおり、如来とは動詞です。如来とは来るのです。私に来るとは、私の考えを破って到来するということです。「ああ、そうでありました」という気づき、一瞬の出来事として来てくださるのです。

一念の目覚め

親鸞聖人最晩年のお聖教に『弥陀如来名号徳』があります。その中では「炎王光」と「光炎王」と文字が前後していますが、あらわす意味は同じです。「炎王光ともうすは、光の盛りにして、火の盛りに燃えたるに喩えまいらするなり。火の炎の煙無きが盛りなるが如しとなり」。お念仏の功徳を光に喩え、炎に喩えて「炎が煙もなく燃え盛っているように明るく盛んである」といわれます。火が盛んに燃えている様子に喩えて、如来を讃えているのです。いわば念仏申す身になるということは、盛んに燃えている火に遇うことなのです。どういう燃え方か。煙もなく燃え盛っているというのです。炎が煙もなく燃えているということは、くすぶっていないということ。金子大榮先生が成仏を「完全燃焼」と教えてくださっていることが憶われます。

一瞬一瞬、今日一日生きたことが、今日一日生きたことになる。その力をお念仏から賜っていくということではないですか。実は、そうではない私だからこそ、愚痴を吐くしかない私だからこそ求め得るのです。だからこそ出遇えるのです。「もうわかった」でも「そんなことは知っていた」でもない。いつでも思いを固めて結論を出してはため息をついている私の上に「ああ、そうか」「こういう世界があったのか」という一念の目覚めを、時を与えてくださる。「出発・出立・発心」とは、いつでもこれからなのです。その一瞬において、気づきの時において、いつも出発点が開かれる。いのち終えるその時まで新しい。そういう世界を往生生活というのでしょう。

「炎王光」について、蓮如上人の『正信偈大意』では「火をもってたきぎを焼くに尽くさずということなきがごとく、光明の智慧をもって煩悩のたきぎをやくに、さらに滅せずということなし」(『真宗聖典』749頁)とあります。私たちは「煩悩のたきぎ」。如来は「光明の智慧」。木を離れて火はなく、焼き尽くす炎と燃え上がる薪とが一つになっている状態が完全燃焼です。親鸞聖人は「煙もなく燃え盛る」、蓮如上人は「光明の智慧をもって煩悩のたきぎを焼く」とおっしゃいます。ですから、私たちが求めていることは、さまざまなご縁に出遇うけれどもその一切を燃やし尽くしていける道だと如来はお見通しなのでしょう。くすぶってばかりいる私だからこそ、燃え上がらせてくださるのでしょう。

暁烏敏あけがらす はや先生の仰せに「炭団たどんをいくら洗っても白くはならんぞ」とあります。仏法は黒い炭をキレイに洗い上げて白くする教えではない。ダメな私をダメでない私に、理想通りの人間に変えてくれる話ではありません。また心の持ちようを改めたり、心の支えとしての補助や依存や癒しでもない。では何か。「炭団をいくら洗っても白くはならんぞ」に続けて、暁烏先生は「でもな、炭団にも火がつけば、真っ赤に燃えるぞ」と仰います。炭団が炭団のままに燃え上がる道。炭団が炭団を尽くせる世界です。いつでも「驚き・発見・出立」を賜っていく。今日は林暁宇先生のお言葉から「驚き・発見・出立」との講題をいただきまして、現在私が教えられていることを話させていただきました。ありがとうございました。

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