あなかしこ 「門徒倶楽部」機関紙

融通無碍

ベテランの憂鬱

田口弘 (僧侶、53歳)

皆さんは、「10時打ち」という言葉をご存知でしょうか? ニヤリと笑って「知ってるよ!」とおっしゃる方は、かなり重症(?)の「鉄ちゃん」(鉄道マニア)と診断させていただきます。

JRの指定券は、乗車日の1ヶ月前から一般発売されますが、人気のある列車は、すぐ満席になってしまいます。特に「鉄ちゃん」に好まれるSLや廃止間近の寝台特急、珍しい車両が使用される臨時列車などは、10時の発売と同時に全国の駅や旅行会社から予約が殺到し、30秒もたたないうちに「完売御礼」となることも珍しくありません。

そこで、難易度の高い指定券を入手するためには、駅員さんに絶妙のタイミングで「マルス」(みどりの窓口にある予約端末)を操作してもらう必要があります。これが「10時打ち」というわけです。

かく申す私も筋金入りの鉄道マニア、来春に引退する大阪─札幌間の寝台特急「トワイライトエクスプレス」と、近々食堂車が閉店する上野─札幌間の「北斗星」にお別れ乗車をするため、たびたび「10時打ち」に挑んでいます。目下15連敗中という悲惨な成績です。

そもそも、首尾よく「10時打ち」をしてもらうためには、こちらも、かなり知恵を絞らなければなりません。

まず、10時直前、端末が一旦リセットされる9時55分にうまく窓口の前に立つのはとても難しいのです。みどりの窓口は指定券以外のきっぷも扱うので、空いていればともかく、混んでいる時は並ぶタイミングを考えなければなりません。用心して九時過ぎから待機していたのに、列の進み具合を読み誤って2番目で10時を迎えてしまうという悲惨な経験もあります。そんな時、先頭の人が、「来週の自由席ね」などと頼んでいる声が聞こえると、思わず「そんなもの、いつでも買えるだろうが! 肝心な時に窓口を塞ぐな!」と、心の中で叫んでしまいます。

「心の中」ではなく、実際に叫ぶ人がいるからでしょうか、最近は発売当日の朝、事前受付をしてくれる駅が増えてきました。しかし、こちらも先着順なので、「10時打ち」をしてもらうためには、「1番」を取らなければなりません。端末の台数が多いターミナル駅でも、安全圏は「3番」まででしょう。私の利用する駅は7時からの受付です。「いくら何でも2時間前に行けば、楽勝で『1番』だろう」と始発電車で5時に着いてみれば、もうシャッターの前に「先客」が3人いて、仰け反りました。聞けば先頭の人は3時に来たそうで、笑って「いつもこんなものですよ」と教えてくれました。

もっとも、いくら「お客様」の中で、有利なポジションを得たとしても、肝心の駅員さんが絶妙のタイミングで予約のキーを打ってくれなければお話になりません。実はこれが最大の難関です。私の経験でも、10時になってから、おもむろに端末を操作したり、時報と同時に打ってくれたものの入力ミスでエラーを出してしまったりと、「論外」の人がいました。勿論、駅員さんに悪気はないでしょうし、時報と同時に端末を操作しなければならない義務もありません。「10時打ち」はあくまでサービスであり、プロにお任せするほかないとわかってはいるものの、「不合格」を告知されると、「ちゃんと打ってくれたのかな?」という疑念が頭をもたげてしまいます。

「10時打ち」で惨敗しても、乗りたい列車の指定券を入手する方法があります。「みどりの窓口」や旅行代理店の前を通った時に、必ず立ち寄り、キャンセル照会をしてもらうのです。根気の必要な作業ですが、いつキャンセルが出るかなど誰にもわかりませんから、足繁く窓口に通って調べてもらうほかありません。近頃は人気のある列車の指定券を、ネットオークションに高値で出品する現代版ダフ屋「テンバイヤー」が台頭しているため、正規のキャンセルが減少しており、こちらも熾烈な奪い合いとなっています。

ちなみに、人気のある列車の指定券を入手するために、「10時打ち」が必須となったのは、ここ数年の現象です。今や、世を挙げての鉄道ブーム! 一般のマスコミでも頻繁に、車両や駅の話題が取り上げられ、毎日のように各地でイベントが開催され、書店には新刊の鉄道本が、玩具店には鉄道模型の新製品が溢れています。「鉄子」と呼ばれる鉄道好きの女性も増えているそうで、ラジオのレギュラー番組を担当する「鉄道アイドル」なる人物まで現れました。中だるみはあったものの、子供の頃から現在まで、50年近く鉄道趣味を続けて来た私としては、これらの現象にただただ驚くばかりです。

だから、「お仲間が増えてよかったですね」などと言われると、正直なところ戸惑ってしまいます。そして、苦虫を噛み潰した顔で答えます。「私はブームになるずっと前から、鉄道マニアでしたよ!」と。

私を含めて長年鉄道を追いかけて来たマニアは「同好の士」が増えたことを、素直に喜んでいません。むしろ不愉快に思ってさえいます。少年時代から付き合っている趣味仲間が集まると、決まって「参ったなあ!」というぼやきになります。そして、ブームに量産された「俄か鉄ちゃん」への非難へと続きます。曰く「『俄か』が増えて、撮影地のマナーが悪くなり、とうとう立入禁止にされちまったよ!」「『俄か』はマスコミで騒がれる物にしか興味を持たないから、本当の鉄道マニアとは言えないね」「鉄道アイドルなんて、俺たちみたいにモテないマニアに媚びを売って金儲けしたいだけだろう?」等々。要は、「俺はブームに乗っているだけの奴等とは違うんだ! 一緒にされてたまるか!」ということなのです。

「鉄ちゃん」などという言葉のなかった頃、鉄道マニアは、良くも悪くも「特別な人」でした。「電車に乗っているだけで楽しいなんて、頭がおかしいんじゃないの?」とからかわれ、バカにされる一方で、「今度旅行に行くんだけど、空いている列車や安い切符の買い方を教えてくれよ」と尋ねられる存在だったのです。空前のブームは、そんな私達の「立ち位置」を大きく変えています。バカにされなくなった代わりに、頼られることもなくなりました。国内の鉄道全駅に下車した人が「証拠」を携えて何人も出現する時代となれば、国内の鉄道全駅を通ったことのある私など「普通の人」に過ぎません。周囲の反応も、「いい齢をして、よくやるよ!」から、「おや、あなたもですか!」に変わりました。ブームによって、自由に写真撮影が出来た線路際から追い出され、これまで簡単に買えた指定券の入手が困難になったばかりか、「特別な人」というステータスまで奪い取られてしまったことが、私達、自称「ベテラン鉄道マニア」の抱えている憂鬱なのです。

私が会長を勤める「東京ボーズバー」には、毎晩悩みを抱えたお客様がやって来られます。相談される内容は、ほとんどが「幸せになりたい」「もっと楽しく生きて行きたい」というものです。そして、いかに今の自分が納得し難い状況に置かれているかを訴えるのです。聞いていて、「みんな私と同じなんだな」と苦笑してしまいます。

親鸞聖人のお聖教に「幸せ」という言葉はありませんが、敢えて真宗の「幸せ」を現代風に表現するならば、「無条件に自分を受け入れてくれる世界との出遭い」となるのではないでしょうか。阿弥陀如来の「摂取不捨の利益」とは、まさにこのことを指しています。

では、私達は何故「幸せ」になれないのでしょうか。それは、与えられた「無条件の救い」に対して、さまざまな「条件」をつけてしまうからにほかなりません。全ての生きとし生ける者が「皆悉く」迎え取られる世界を嫌っているのです。自分が「特別な存在」として認められることを願う一方で、皆と違う世界に放り出されることを恐れて苦悩するのが、親鸞聖人が「救われ難き身」とされた私達の姿です。だからこそ、そんな私達の有り様を悲しまれた阿弥陀如来が、「欲生我国」と呼びかけてくださるのです。

「幸せになるにはどうしたらよいでしょうか?」と尋ねられた時、私はこんな風にお答えしています。

「あなたや私が願っている『幸せ』とは、自分の思い通りになる世界、自分にとって都合のよい世界です。恐らく親鸞聖人も、同じような世界を求める心を持っておられたことでしょう。でも、その先が違うんです。聖人は、『そんな罪深く悪の重い私は、苦悩する世界から出られません』とおっしゃったのです。そして『阿弥陀如来は全ての生きとし生ける者をお救いになるのですから、自分の思いに執着し、どこまでも苦悩の世界で迷い続ける私のような者でも、お仲間に入れていただいているのですね。それなら、後はお任せ致します』とおっしゃって、お念仏をいただく身になられたのです。どうすれば幸せになれるかは知りませんが、幸せになれるかどうかが一番大切な問題になっている限り、あなたも私も『不幸』を生き続けるほかないことだけは確かでしょう」

抱えている苦悩の本質、私達の「本当の姿」が教えによって明らかにされた時、初めて如来を褒め称える声として、南無阿弥陀仏が聞こえて来るのです。

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