あなかしこ 「門徒倶楽部」機関紙

門徒倶楽部座談会「人間を見つめる」

8月15日(金)の「お盆&平和を願う法要」でベトナム戦争の帰還兵のアレン・ネルソンさんのビデオを鑑賞しました。その時、大半の門徒倶楽部のメンバーが出席できなかったので、9月例会で改めて観賞し、その後座談を行いました。

戦争加害者であるネルソンさんは、戦争は加害者であろうと、被害者であろうと人間を狂気させてしまうこと、そして日本国憲法第9条がいかに大切であるかを切に語られています。まずネルソンさんとはどのような人かを同朋新聞の記事を抜粋しながら紹介し、続いて門徒倶楽部の座談を掲載します。座談は「人間とは」がテーマです。どんな問題の根底にも宗教的課題があり、憲法の問題も同じです。憲法第9条について、政治的立場やイズムで語ること以前に、人間が根源的に抱えている願いや人間存在の悲しみに着目し、座談を行いました。

アレン・ネルソンさんについて

ベトナムに出撃したネルソンさんは十三カ月の間ジャングルで戦った。戦場での体験はまさに非人間的な営みだった。何でも起こりえた。殺戮はもちろん、略奪、強姦、放火というあらゆる暴力が行われた。死体の匂い、血の匂い、薬きょうの匂い。これらの匂いを彼は生涯忘れることはないと言う。それが戦争の匂いだ。

ネルソンさんは、帰国後、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しむ。いわゆる戦争の後遺症。戦場で目の当たりにした殺戮やあらゆる暴力、そして自らも多くの人々を殺したことが片時も頭から消えなかった。その惨劇が悪夢となって毎晩彼を襲った。兵士だけでなく、女性も老人も、子どもや乳飲み子まで殺し、その遺体を放り投げ山積みにしていくごとに、彼の中で何かが崩れていった。実際に、戦場から帰ってきて彼を苦しめたのは、その子どもたちの泣き声や飛び散る血や手足、燃え盛る家だった。

ちょっとした匂いや音でもすぐ戦闘状態に戻ってしまう。獣のような目で脂汗を流しながらうろつく彼は、帰国後わずか一週間で家族から追い出されホームレスの生活を余儀なくされる。今、アメリカ社会のホームレスの八割は帰還兵だと言われている。ネルソンさんは、その耐えがたい苦しみから、自殺を試みた。彼と同じように苦しむ帰還兵で自ら命を絶った仲間は数万人にのぼると言われている。戦争の後遺症は凄まじい。

ネルソンさんが立ち直ろうとしたきっかけは、ある一人の少女との出会いだった。それは、ホームレスを続ける彼が、学生時代の友人である教師に請われて、小学校でベトナムの体験を話すことになった時のこと。たくさんの子どもたちの描いた絵や、キング牧師の写真が飾られた4年生の教室に立った。

しかし、いざ子どもたちの前に立つと、ジャングルで自分がしてきたこと、見てきたことをありのままに語ることはできなかった。戦争一般の恐ろしさを話してその場をやり過ごした。しかし、最後になって一番前にいた女の子が質問した。「ネルソンさんあなたは人を殺しましたか」と。ネルソンさんは何かで殴られたように、立っていることすら辛くなる。そのことこそがどうしても忘れてしまいたい、思い出したくない、消し去りたいことだったからだ。答えることができず、目をつぶって下を向いてしまう、そのつぶった瞼の裏に、初めて殺した四十代の男の姿が浮かんできた。苦しそうに口をあけ血だらけになって死んでいる。武器は持っていなかった。こいつらが悪いと正当化しながらも、吐いてしまったことが思い起こされる。「よくやった。これでおまえも一人前だ」。上官の声も聞こえてきた。そういう場面が頭から離れなかった。「嘘を言って逃げてしまえ」「本当のことを言わなくてはだめだ」。心の中でその声がいりみだれていた。

どれくらいたったか、目をつぶったまま小さな声で、しかしはっきりと「YES (イエス)」と答えた。目はあけられなかった。すると、苦しそうな彼の姿を見て、質問した女の子は彼のところまできて彼を抱きしめた。彼が驚いて目を開けると彼のおなかのあたりで目に涙をいっぱいためた少女の顔があった。「かわいそうなネルソンさん」。そういってまた抱きしめた。その一言を聞いたとたん彼は頭が真っ白になり息ができなくなった。ふるえながらやっと息をすると大粒の涙が彼の目からあふれ出た。涙は頬を伝ってあごからぽたぽたと落ちた。教室中の子どもたちが皆かけよって彼を抱きしめた。子どもたちも泣いていた。先生も教室の隅で泣いていた。「この時私の中で何かが溶けた」。それまでネルソンさんは泣いていなかった。涙すらも戦争に奪われていた。自分の境遇を恨み、自分の選択を悔み、自分自身にも世の中にも愛想が尽きて、自ら命を絶とうともした。そんなことになった自分をどうしても受け入れることができなかった。しかし、少女の涙が、その一言が、彼の心を溶かした。ネルソンさんは立ち直る決心をした。

(同朋新聞 2007年3月号)

沖縄で辺野古の米軍基地建設計画に反対する人々が小舟やいかだで海上に出て抗議行動をするその中に(アレン・ネルソンさんが)いた時、海上保安庁の大きな船がやってきて急カーブをして高波をたてた。小舟やいかだはひっくり返りそうになる。お年寄りもいて命の危険を感じる状態だった。それを何度も繰り返された時、アレンさんに怒りの心が起こってきて「あいつらを殺したい」と思ったというのです。「人には非暴力を説き、自分自身もたくさんの人を殺し、そのことに死ぬほど苦しんできた。にもかかわらず、まだ私の中から暴力が消えていない。こんな私はどうしたらいいのですか」と。これには佐野(明弘)さんも困ったそうです。アレンさんの深い問いに答える言葉がない。長い沈黙が続きました。その間、アレンさんは身じろぎもせず待ち続けたそうです。二十分ほど経って、「あなたがそうやって苦しんでいる。そのことを信頼しています」と彼(佐野さん)が言う。アレンさんは「大切なことを聞いたように思います」と。そんなやりとりがあったそうです。実はアレンさんのこのような罪の感覚、罪の意識をかかえ、悲しみを持って語る彼の言葉が、聞く人の心に響くのだと思います。

(同朋新聞 2014年8月号)

門徒倶楽部座談

【A】 ネルソンさんはベトナム戦争の帰還兵であり、加害者の立場から戦争を反対している。それは、戦争は人間を人間でなくしてしまうということを、身をもって体験されたからだろう。しかし、戦争は絶対にいけない、人を殺すことはいけないと平和運動をしている時に、海上保安庁の大船が、米軍基地建設反対を叫ぶ人々の小舟を威嚇するのを見て、ネルソンさんは怒り心頭となって殺意を抱くのです。ここまで自分が傷つき、戦争に反対しながら、縁があれば、人を殺そうという気持ちが出てくる。そこに人間存在の悲しみを感じられたネルソンさんに頭が下がる。

【B】 ネルソンさんが平和運動に踏み出したのに、もういっぺん沖縄で自分が問い返されるということが起こったのは、すごく大きいものに感じる。でも、そこで気がつかない人もいる。踏みとどまれないというか。自分に疑問を持たずに違う方向へ行くということもないわけはないと思う。

【A】 自分を見つめることは難しい。人間の知恵はすべて分別し、対象化し、比較するからね。人間存在を大きな悲しみをもって見つめる眼を如来というのだけれど、アレンさんにも如来の視座が届いていたのだろうね。

【C】 率直に言うと、平和運動をしている人のほうがよほど言動が暴力的の場合がある。それは本当に不快だ。この人たちは本当に平和を求めているのかと。ネルソンさんはその辺を気づいている。

【D】 身の事実という問題だね。「三帰依文」に「大道を体解して」と「体」というけれども、身で聞くということがないとね。Cさんが言ったことでいえば、やはり自分の問題になっていないと偽善的になってくるのではないか。それでかえって人を傷つけるというか。そういうことが起こる。

【E】 要は善人性の問題だね。

【A】 善人というは結局、自分で善悪を全部判断できると思っている人だから。そういうときに自分を疑う余地はない。仏教の救いは、自我以前の段階を言っている。平たくいうと、理性で人間を規定できない。人間は理性を持つがゆえに苦しんでいる。私たちは思いで生きているから、事実を受け止められない。でも、自我で思いを破ることはできない。だから関係性から教えられる、気づかされるということがとても大事ではないか。ネルソンさんは、現実から問われ聞こえてきたのではないか。聞いたのではなく、聞こえてきた。「如是我聞」という世界だね。ネルソンさんは関係性から自分に出遇っていったのだね。

【F】 ネルソンさんは、佐野明弘さんとの出遇いによって自分と向かい合った。やっぱり関係性が大切だね。

【G】 ネルソンさんは真宗に出遇うべくして出遇ったという感じがする。真宗の芽はあった。たぶん[ネルソンさんがベトナムの体験を語った]教室の中でも本願の世界が展開されているのだけど、そういう語りをしないだけだと思う。戦争加害者のネルソンさんに対して教室中のみなが泣いている、そういうことが人間の上におこしたのではなく、おこるのだね。不可思議としか言いようがない。

【E】 「かわいそうなネルソンさん」という言葉はすごい。

【A】 『教行信証』の初めに、どうして浄土が説かれたかが書いてある。阿闍世(あじゃせ)と韋提希(いだいけ)だけでなく、提婆達多(だいばだった)という罪人をはじめ、色々な人がいて、初めて浄土が説かれるようになったというのだから、同じだね。教室の中にそういう生徒がいて、犯罪者がいて、いろんな人がいて、そこで初めて、浄土が説かれる。そんなことを直感した。

【D】 親鸞聖人は提婆達多に「尊者」をつけていることに最初驚いた。私たちはとても付けられない。でもそれは行為の善悪を言っているのではなく、迷いの人間の上に真実が届くときに、その縁を作った一人として「尊者」と言ったのでしょう。教えの世界では「尊者」と言える。

【E】 アメリカもそう、日本もそうだと思うけど、戦地に行った兵隊さんに「かわいそうな」という言葉をかけることは普通はないのではないか。要するに、立派だったとか、よくやってくれたとか、感謝するということがあって、もう一方で、何で戦争なんかに行ったのかという批判と、その二つは常にどちらの国でもあるのだろうけど、「かわいそうな」とは、戦争に行った人に思ったことがないし。

【C】 「かわいそうな」と、つまり戦地に行って人を殺すということ、しかも人を殺したことで騒がれることもなく生きているということが「かわいそうな」こととして見える世界。つまり、みんなが許してくれても、やっぱり自分の中で背負っていかなければならないものがある。六師外道は許してくれるけれど、それで阿闍世は救われなかった。自分のしたことを、昔のことじゃないかとか、こんなことをした人はいっぱいいるよとか、お前の殺した親父も大概悪い奴だったよとか、もう済んだことじゃないかとか、いろんなことを言われたって、やっぱりそこで背負っていくということでしか、生きてゆく道がない。救われない者として生きてゆく世界に出遇ったところでしか生きていけない。すごく逆説的な話で難しいけども、何かこう、そういうことがないと。戦争だからしょうがないということはいくらでも言えるし、言う人はいくらでもいると思うけど、そこに、本当に自分のいのちに呼びかけてくる声があるのかどうか。本当に呼びかけてくる声というのは、やっぱり「あなたは人を殺したかわいそうな人なのだ」という声。「かわいそうな」というのは、罪を背負って生きてゆく人ということで「かわいそうな」と。そのことが、戦争の問題を考えるときに、すごく抜け落ちているというか。そういうものを背負っていかなければならない悲しさ。世間の話は全部〈加害者と被害者〉で、そういうところに仏法は見えない。逆にいったら〈加害者と被害者〉の関係が崩されないところに仏法を持ち込んでくることぐらい、危ないことはない。

【A】 そうだね。加害、被害という関係が崩れないとね。もう一つ言えば、加害、被害に、第三者の問題もあって。第三者は傍観者になりやすいからね。3.11で、被害者も東電もそれ以外の人たちも皆ともに救われていくということはどういうことなのか問われたことにも関係しているね。人間は業縁存在。縁がもよおせばいかなるふるまいもしてしまう存在の問題を突きつけられているのだと思う。背負っていかなければならない悲しみというのを、その少女は感じたのは、自分の中にもネルソンさんと同じ問題を持っていることに気づいたのではないか。どこまでも存在の問題、宿業の問題だね。

【D】 しかし、その少女がそこまで深く考えていたのかというと、私はちょっと疑問に思う。

【B】 深くではない。深くとか浅くとかいうのは対象化していう自我の世界だから。分析することではないと思う。

【C】 深くというのとは逆だと思う。少女は直感的にその言葉が出たのだと思う。

【G】 Eさんの言ったような、受け容れていくということは、思いを翻して事実に立つということだね。人間はなかなか事実に立てない。

【B】 仏さまの智慧というのは、事実を事実として受け止めてゆく智慧。人間の知恵は、分別し閉塞していく。だから仏の智慧とは何かと分析しても駄目なのであって、仏の智慧というのは人間の知恵をどこまでも徹底して否定するはたらきだよね。否定していってどうなるかといったら、思いを破って事実に立って生きるということではないか。

【A】 宿業というのは〈ご覧の通り〉ということ。だから真宗は「夢をみない絶望しない」[安田理深]という世界をいただく。希望を持ってはいけない、絶望してはいけないということではない。それしかない私たちにそれを超える視座をいただくことなのだろう。つまり事実に立って生きる勇気というか、意欲の大切さだよね。言い訳もせず、ごまかしもせず、正当化もせず、ひらきなおりもせず、あきらめずもせず[和田稠]という世界をどこかでいただくということなのだろう。ご覧の通りの私。でもそういうことは自我の上では絶対に言えない。言えない人間の上に起こる。時節到来ということがあるのではないかな。

【H】 少女の言葉は自然に出たものだと思うけど、ネルソンさん自体がそういうふうに受け止めたのは、レディネスというか、ネルソンさん自体の中で変わっていたから、そういうふうに受け止められたのではないかと思う。

【D】 多少分別のある大人が「かわいそうね」と言っていたら、上から目線ということで、ネルソンさんは受け容れられなかったけども、少女はそんなことを考えているような素地がなく、自然に発した言葉だったから、そういう上から目線ではない言葉で、ネルソンさん自体が自分で悩んでいることを受け止められたというか。

【I】 そうだよね、自然だから響いたのでしょう。ネルソンさんは思いもかけず出てきた少女の言葉によって、囚われていた自分の思いが破られて、立ち上がろうと決心した。やっぱり自我という意識構造が人間を苦しめるのだね。

【G】 教えもそうだね。自分の思いに適ったことを言ってくれとこちらは思うけど、まったくそうではない言葉に感動していくよね。

【H】 ネルソンさんは、まさか「かわいそう」と言ってくれるとか、同情してくれるとか思っていなかったのだろう。「念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき」(『歎異抄』)であって「起こすとき」ではないと以前学んだ。そういうことが人間の上におこるのだろう。

【B】 例えば明日から酒を飲むのをやめようとか、愚痴をこぼすのをやめようとか、怒るのをやめようとか言っても、縁があれば飲んでいるし、怒っている。会社に行って、絶対にこの人だけは許さないという人がいて、その人と話をすれば、表面は抑えていても、実はむかついている。それをやめることはできない。つまり、自我ではコントロールできない。

【C】 真宗の教えも自我に閉じ込めたら大変だよね。「あなたが悩んでいるのはあなたの自我の問題だ」などと固定化して言ってしまうようと、それは教えではなくなるように思う。やはり聞こえてきて、自分の思いがひっくり返るということしか教えはないと思う。

【J】 さらに、まわりにいたみんなも泣いたという点も、誰もが抱えている問題だと感じましたね。

【A】 一人の問題が、実はすべての人の問題だという世界が開かれたのだろう。私の根本的問題は、すべての人の問題で、すべての人の問題のなかにこの私の問題もあるというような視座だね。人間はまるごと受け止めてくれるようなものに出遇わないと、本当に生きるということが成り立たないのだね。そう感じた。

【E】 せっかく聞こえてきたことをついつい自分の答えとしてにぎりしめてしまうところが自分では問題なんだよね。それでわかった気になり、自分で知った気になる。善人根性が抜け切れない。

【C】 悪人エリートもいるしね。

【F】 自分たちは悪人だと言いながら、実は善人をやっている。善人のままでいようとするのが善人で、悪人を装うのも善人だね。

【B】 ネルソンさんがこのあと「私はかわいそうな男だ」と言い始めたら!(一同爆笑)

【C】 気になっているのだけど、この「かわいそうなネルソンさん」は原語で何と表現したのだろう。「かわいそう」に当たる英語はいっぱいあるので。

【B】 英語だと「poor」かな。「かわいそうなネルソンさん」という日本語がきれいにまとまりすぎている感があるというか、表現しきれない感じがする。

【D】 たぶん「poor」だろうね。「かわいそう」という言葉がこんなに重みを持ったことはすごい。言葉はやはり背景がある。背景を見ていくことだね。

【B】 もうひとつ関心を持ったことなのだけれど、ネルソンさんが防空壕で出産する女性と出遇ったということは、いつ頃から自分にとって大事なことだったと思うようになったのだろう。

【A】 ネルソンさんが語ったこととして聞いていることは、防空壕で出会ったベトナム人女性が出産する際、彼女の両足の間から始めに出てきたのは水で、その水がふきだすように出てきた。その水は香りがあり清らかでけがれのないものだったと。それから赤ん坊がネルソンさんのとっさに差し出した手の中に生れ落ちたと。人のいのちが水とともにうまれてくるその水は、涙という懺悔の水に深くつながっているのだとネルソンさんは感じられた。悲しみの涙を通して、人は人として生まれてくる。「罪深い愚かな私である」という自覚、「申し訳ない」というところに、人間が人間に帰っていく本当の救いがあることを教えられる。

【B】 それは戦場にあって気づきを得たということだろうか。

【H】 平常の生活からはなかなかこういう感覚は生まれないでしょう。どうにもならないところで現実から突きつけられることってあるのではないかな。

【C】 生まれてくることは「生苦」だけれど、生苦という人間の迷いのいのちが、実は願いに包まれているのだけれど、その願いが見えなくなっているという問題を感じる。だから罪を抱えて生まれてくるのだと思う。自分も迷って苦しんで、こうして教えを聞かせていただいているけど、本当に愚かで申し訳ないと思う。私になって生まれてくるいのちは、もともと迷いとともに願いが寄り添ってきたいのちだから、そこには「申し訳ない」という懺悔が流れているといただくと、なんとなくうなずけるような気がする。

【D】 ネルソンさんは戦争から帰ってきた段階でも、そこまでの感じは持っていなかったのではないかな。

【B】 DVDでも、戦場での出産を見た時のことがきっかけで自分は変わったと言っていたのだけど、どんなふうにその時思ったのかと。

【A】 その時は言葉になったり、明確化していなかったかもしれないけど、やはりそう感じてのだと思う。そしてその後、PTSDから立ち直っていく中で、そのことがはっきりされてきたということではないかな。

【D】 それは関係性を通して如来の眼から教えていただいて、自分が持っていたものが呼び起こされたというか、そういう縁がなかったらそのままで終わってしまっていたかもしれない。そういう縁があったから、ネルソンさんは法名を受式したのではないか。

【A】 教室の話もそうだよね。教室という場があり、時があり、人がいる。そこに聞こえてきたものがあるということになると、その時が単なるその場を開く時ではなくて、自分が開かれる時になる。まさに「時節到来」。

【H】 防空壕での出遇いが大きな縁であったことはまちがいない。ネルソンさんがどこでどう変わったかとか分析しなくていいことだね。何か意味づけしたくなるのが人間の問題かな。

【E】 真宗のお坊さんで社会問題を熱心にやっている人を見ていて、やっている行為は尊いのだけれど、親鸞とか念仏とか言わないでやってくれないかと思う。それを言わずにやっていたら、この人は何て立派なのだろうと本当に頭が下がるのだけど、それを言ってしまうばかりに、自分のやっていることを真宗の教えで裏打ちしようとするばかりに、何だこれはという感じになってしまう。やっていることが世間的な意味で悪いことではないだけ、とても危うい。

【F】 何か親鸞聖人とか念仏を権威にしているように聞こえてしまうね。私たちが行動するときにその都度「親鸞聖人は」とか「念仏は」とか前提にたてているわけではないのに、なにかこういう問題になると、何か裏付けがほしくなってしまうのではないかな。

【A】 つまり、運動論にしてしまう危うさだね。

【E】 「親鸞聖人が私にこれをやらせている」みたいなことを言う人がいる。それは明らかに違うのではないか。「その行為をしていない人は、親鸞聖人の声が聞こえていない人だ」とまで言う人もいる。それは「貴様、それでも日本人か」というのと同じではないか。「俺の言うことに反対なのか」ぐらいならいくらでも言っていいのだけれど、「お前は教えを聞いていない人間なのか。お前は本当に念仏者か」という話になると、明らかに問題のすり替えだ。

【D】 自分を見ずして相手を責めるとは、それこそ本当に聞法しているのかと逆に言いたくなる。

【A】 如来の側にある教えを所有したら駄目だよね。手には届かない所にあるから、照らされるしかないのに、如来の四十八願を自分たちで実行しようということになると自力に陥るのではないかな。典型的善人。ところが、そのほうが世の中ではわかりやすいから、Eさんが危ういと言うのはよくわかる。ネルソンさんは加害者、被害者、第三者というちがいを越えて、人間とは何かを明らかにしてくださった。それはすべて〈聞こえてきたこと〉だよね。ネルソンさんは親鸞聖人をたてて運動したわけじゃない。

【B】 ネルソンさんの言葉をどう一人ひとりが受け止めるかは、それこそ一人ひとりの問題だよね。まずそこからはじまるのでしょう。

【D】 人間に生まれた深い悲しみをどう一人ひとりがいただいていくか、それがまずないと、戦争反対賛成も立場が変われば変わってしまう。人間の善悪は危ういよね。

【A】 御意! 親鸞聖人は流罪の時に「愚禿釈親鸞」と名のった。不当な迫害を受けたのだから怒りもあっただろうけど、おそらく縁によっては自分も朝廷と同じことをしかねないという人間の深い罪を自覚されていたのだろう。存在を問うという一点だね。

【C】 『歎異抄』第十三章の「さるべき業縁のもよおさば、いかなるふるまいもすべし」という言葉が身に沁みる。

【I】 どんな人間でも救われるということは、棚から牡丹餅ではなく、人間存在の深い罪、悲しみを知るところからはじまるように思う。

【E】 ネルソンさんが戦争反対を叫びながら、業縁のわが身ということを深く懺悔された姿は、立場を超えて、みんなが助かっていく道のように思える。

【A】 政治的立場やイズムでの討論ではなく、憲法第九条の問題を手がかりとして、人間そのものを見つめる座談ができてよかった。お疲れ様でした。


門徒倶楽部で視聴したビデオ

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