あなかしこ 「門徒倶楽部」機関紙

「死をはげます」ということ

篠﨑一朗 (釋一道) 〈会社員、55歳〉

末期癌患者にとって「がんばれ!」という言葉は、辛くひびく時と、本当に心に響いてくれる時とがあるように思える。同じような境遇におかれた闘病仲間らから、自分も頑張るから貴方も頑張ってね! と言われれば『そうだ自分もできるだけ頑張ろう!』と思えるかもしれないが、ピンピンした健常者からとおり一遍の励ましのことばとして「頑張ってね」と言われても、『こんな辛い状況は貴方には分からない。こんなに頑張ってこれ以上頑張れないところまできているのに、そんなこと言わないでほしい。』と反発したくなってしまうかも知れない。私が闘病中の辛い時はそうだった。

先日、あるガン患者の会で末期癌患者の方が、医師から余命10か月と宣告されたが、抗がん剤治療しかないと言われ、自分としてはこれに賭けるしかなく、不安な毎日だと発言されていた。私の17年前の体験談を聞いて少しほっとした、少し前向きに闘病に向かえるかもと言われて別れたが、先月お会いした時には、一応元気に抗がん剤治療に取り組んでいると言われ、こちらもほっとしたものだった。

最近、古本屋で見かけた本で、諏訪中央病院名誉院長の鎌田實先生と松本市の神宮寺住職の高橋卓志和尚の共著「生き方のコツ 死に方の選択」(集英社文庫)という往復書簡集を読んでいたら、その中で、「死を受け入れる」「『死をはげます』ということ」という章があり、禅僧である卓志和尚はターミナルケアにおいて仏教がかかわれることがあるのではないか、ターミナルケアによって仏教はいきいきと動き出すのではないかという期待を持っていた、と告白するだが、自分の父であり師である前住職和尚の死に際し、仏教が入り込む余地が見つからなかった。こころよい「家族の絆」というものがそれらを必要としなかったと、あえていえばその絆が宗教なのだと思うのですと述べられているところがあった。

その前段には、「生死を達観」することを本分としていた禅僧である父であったが、死を目前にして「万事にアセリを感じる」という心の内を吐露し、家族は何もできなかったと。しかし入院5日目にして、父の様子が突然変わり、遺偈(ゆいげ、禅僧が死の間際に残す詩)を書く努力を始めたの見て、父は「死の受容」を肉体的な痛みが最も強い時点で行ったと。家族はこの様子に感動し、父のいのちが「長らえてほしい」という要求から「がんばって死んでほしい」という思いに変わっていった。ここには前段階として、父が精一杯生きたという証があるからだ。そして父が生きた時間を共に過ごし、共に生きたという家族の実感もあるのです、と述べられている。また、鎌田先生にも、若干二十歳にして悪性リンパ腫で亡くなった青年の壮絶な死ではあったが、家族・医療者の暖かい見守りの中での死を看取ったエピソードも書かれていたが、共通して言えることは、生の長さには関係なく、精一杯それぞれの人生を生きた生きざまに「よく頑張った」と称賛し、これはまさしく「死をはげます」ということなのだと書かれていた。

今、厳しい状態のガン患者さんを前にして、ピアサポーター(支援者)としての活動をしていると、宗教の力で励ますことが出来ないものか、と常々思っているのだが、仏教者でもこうならば、教えにあまり触れたことのない人には教条的な話からではなく、家族の絆などの関係性を取り戻し、病人であろうと健常人であろうと、共に生きる存在(同朋)としての眼を持ち、寄り添うことしかないのではないかとも思う。

しかし、私が闘病生活中「死の至るところをもって生の拠り所とす。」という真宗関係の本からこのことばを聞き、先のことは分からないが今、この生を精一杯生き切ればいいんだと、たとえこの先が死であっても、私は既に弥陀に助けられる存在なのだからという言葉で、救われていた気がする。まさしく「死」を励まされていたようにも思う。このことはどう伝えていったらいいものだろうか。

合掌

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