あなかしこ 「門徒倶楽部」機関紙

ここまできたか

篠﨑一朗 〈釋一道〉  (55歳)

先日、地元地方新聞を読んでいたら、小さな経済欄の記事ではあったが、塾経営・コンサルタント業者が副業に、寺経営コンサルタント業なる商売を立ち上げたとの話題を取り上げていた。

これを読んで、時代はとうとうここまで来たかとの印象を持った。《寺経営》との言葉に違和感をもったが、せめて《寺運営》といって欲しいが、それが今の社会の現実なのだろう。

次に《コンサルタント》という言葉も引っ掛かったが、そこには「仏教の教学」などの一言もないのである。

更には、それをやるのが塾経営コンサルタントを営む会社が、副業で始めるとのことだ。別に副業自体にとやかく言うつもりはない。そこには、寺の本来の在り方など問題ではなく、塾経営コンサルタント会社が、その教育システムの《ノウハウ》を寺運営に生かすということなのだ。

この記事の中には、寺は今後檀家数の多い寺と、少ない寺に二極化されるとの問題意識を前提にしているが、檀家の少ない寺経営は厳しさが一層増すので、檀家が増えないときの寺運営はかくアルベキとのコンサルタントをするのだろうか?

たしかに現在の寺は、教学などそっちのけで葬式仏教の祭司業と化している寺院が多いのは確かである。仏事を滞りなく執行したうえで、その仏事をきっかけとして仏教が身近になって仏の教えにふれていくという循環ができてくるのであれば、その寺院は一定の役割を果たしてきているとも言えるのだろう。しかし、ただ単にお経を読み仏式の進行を営むだけの祭司業(?)となってしまっているお寺は、今後残っていけるとは思えない。人口が減っていく中でそのことに今までのようなお金を払う価値があると思わない人が増えてくると思われるからだ。そんな中でさらにこのようなコンサルタント業者が入り込んでいったら、寺とは名ばかりの葬祭業者の一環での祭司業でしかなくなると思われる。

経済学的にみて、お金ではわりきれない面があるといっても、家制度がますます崩壊していけば今までの価値観などすっとんでしまう。

これも最近多くなっていると思われるのが、一般の霊園墓地で戒名や法名のない卒塔婆や墓石がやたら目につくのである。僧侶が関与していない葬儀も相当多くなってきているのではないだろうか?

わが蓮光寺では、そのようなことがないよう住職が一生懸命、寺本来の在り方を崩さない運営に邁進しているし、蓮光寺の役員の方々、そして門徒倶楽部もその活動のお手伝いをさせてもらっている。

人間存在の根本問題など大上段に振りかざす積りはないが、自分の身に抱えた問題を解決できず寺にそれを求めてやってくる人もおり、そのような人を門前払いにしない対応は、住職をはじめ門徒役員や門徒倶楽部員は皆心がけている。ただ一回来ただけで終わってしまう人もいないことはないが、このお寺で何かを掴めたひと(掴めそうと期待している人も含む)は、続けて来られているのである。

すべてのお寺が何らかこのような活動ができてくれば、寺コンサルタント業などがはびこることはないだろう。

今後、ますます厳しさが増すであろう寺院の在り方に危機感をもつ者のひとりごとであった。

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