あなかしこ 「門徒倶楽部」機関紙

仏壇と床の間

河村和也(釋和誠) 48歳

カズオ・イシグロは現代の英国を代表する作家の一人である。一九五四年に長崎に生まれ、五歳のときに父親の仕事の都合で英国に渡った。以来、ずっと英国を離れず、一九八二年には帰化している。両親は日本人だが、日本での生活が短かったこともあって現在はほとんど日本語が話せないという。いわゆる「日系英国人」となった彼の小説は英語で書かれているのである。

一九八六年に発表した『浮世の画家』(原題: An Artist of the Floating World)は、太平洋戦争中に名を成した画家が、終戦後、新しい価値観と自分が貫いてきた信念との間で苦悶する姿を描いている。作中、主人公が父と過ごした少年期を振り返る場面で、すまいの「客間」の様子が次のように描写されている。

わたしは子供のころからずっと、どの家でも客間というのはうやうやしい場所、日常の雑事で汚してはならぬ場所、大事なお客様をお通しする場所、あるいは仏壇を拝む場所だという、父親から植えつけられた観念を持ち続けていた。……

……父は夕食後すぐ客間に姿を消し、十五分ばかりのちにわたしを呼び入れる。入ると、部屋のまんなかの床の上に背の高いろうそくが一本ともっているだけ。……部屋の奥の壁近く、父の肩越しにかろうじて見えるのは仏壇と、床の間の掛け軸だけだ。

〔飛田茂雄訳、中央公論社刊、一九八八年〕

ある研究者が、文学と教育を論ずる著書の中で、この客間の描写を「不自然」なものだと指摘した。作者が日本の文化をよく理解していないことに起因する「奇妙」な描写だと言うのである。果たして、その研究者の感じた不自然さもしくは奇妙さとは何だったのだろう。

それは、ごく手短に言えば、仏壇と床の間が並んでいることであり、仏壇のある部屋で賓客をもてなすことであった。この研究者の指摘に触れ、私自身も調べてみたところ、床の間を「神様」の場所とする考え方もあるようだし、他宗では床の間に仏壇を置くことを禁じている例もあるようだ。しかし、仏壇と床の間が並立することに何の不自然さも感じない者にとっては、この研究者の「普通ではちょっと考えられない」とのことばはまったく共感できないものであった。

この研究者の指摘に対し疑義を呈した者があったことを、この研究者自身が別の著書の中で明かしている。それは、北海道のある大学に学ぶ何人かの大学院生であった。仏壇と床の間が一緒になった部屋に客人を招き入れることのどこがおかしいのかと問われ、研究者は返答に「困ってしま」ったと述懐している。

ここには、ある風土に育てられた人々の姿が垣間見えるような気がする。それはすなわち、暮らしの中に仏壇があり、仏壇を常に身近に感じて生きてきた人々の姿である。

仏壇と床の間の並ぶ部屋で育った北海道の学生たちにとって、東京から来たこの研究者の「学説」がどれほど不自然で奇妙なものであったかは想像に難くない。そして、五歳までしか日本にいなかったという日系英国人作家の原体験の中に、仏壇と床の間の並ぶ部屋があり、ろうそくの明かりがあり、(本稿では紹介していないが)香を立てる父の姿と、仏壇に花を生ける母の姿があったことを思うと、仏壇とともに暮らすことが人間の生涯に与える影響の大きさを再認識せずにはいられない。

彼らの背景に真宗の教えがあるとまで決めつけるのは控えよう。しかし、北海道と長崎という二つの地名が暗示するものの大きさは、門徒の一人として強く感じるところではある。

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