あなかしこ 「門徒倶楽部」機関紙

生きていた証しとしての法名

谷口 裕  43歳

「毎日jp」(毎日新聞ウェブ)に「東日本大震災 津波で妻死亡 おなかの子にも法名を」と題する記事があった(2月15日付)。亡き人の冥福を祈る、あるいはいわゆる水子供養のようなつもりなのだろうか。見出しから勝手にそんなことを思い、穿った目で記事を読んでみると、しかし様子が違っていた。

岩手県陸前高田市の男性(27歳)が、津波で亡くなった妻(当時24歳)のおなかに宿されていた第2子の女児の法名を授かろうと考えているという。

男性の妻が発見されたのは、震災からちょうど2カ月後の5月11日だった。荼毘に付した遺体のおなかの辺りに、小さな骨が散らばっていたという。おなかの中で確かに生きていた命があったのだ。

夫妻には第1子・長男(2歳)がいる。「この一年、[亡くなった妻とそのおなかの中にいた子供といっしょに]家族四人で乗り越えてきた気がする」と男性は語る。「法名に、その証しを残したいとの思いを込める」と記事にはある。

男性にとって、妻のおなかの中の子供の法名は、世間でよくいわれるような、亡くなった人を供養し成仏させるためのものではないのだ。震災後の1年をともに歩んできた、そしてこれからもともに歩んでゆく、諸仏としての法名なのだった。

帰敬式を受け法名を授かってから、12年がたつ私は、この男性から大きな問いを投げかけられている。私の法名は、生きていることの証しになっているだろうか。諸仏とともに歩みゆく者としての名前になっているだろうか。そうなるような生き方を私はしてきているだろうか。そのことを改めて問われている。

私は12年前に法名を授かった時、確かに感動していた。当時31歳だった私は、本山・東本願寺(京都)の同朋会館で、そこに来るまでに31年かかったという思いをかみしめていた。なぜもっと早く御縁をいただくことができなかったのだろうかという思いと、御縁をいただくのに31年という時間は必要だったのだという思いと。

しかし、感動がどんなに大きかろうと、本当であろうと、人間は簡単に忘れてしまう。『歎異抄』風にいえば、法名をいただきそうらえども、踊躍歓喜の心はいつしか疎かになっているのだ。そのくせ、そんな自分のことは棚にあげて、ニュース記事の見出しに「おなかの子にも法名を」などという字があれば、どうせ勘違いの水子供養か何かのつもりだろうと、曇った眼で見たりして、逆に問い返される羽目になったりしている。

生きている証しとしての、生きていた証しとしての法名。法名をいただいている者として、その意義を忘れずに歩んでいきたい。何度でも原点に立ち返りつつ。

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