あなかしこ 「門徒倶楽部」機関紙

法話 松井憲一先生

2010年 蓮光寺「成人の日法話会」

2010年1月11日(月)

講師: 松井憲一先生(京都市・道光舎、三重教区道専寺前住職、70歳)

テーマ:「人に成るということ」

「人と成る道」という共通の講題をいただきまして、お話をさせていただきます。

ご案内のところにも出しておきましたけれども、私たちはみな「オギャー」と言うて生まれてきたようでございますね。意識はしておりませんが、みな第一声は「オギャー」と言ってこの世に生まれてきたはずです。ところがその「オギャー」は、はたして何を叫びたかったのか。何を言いたかったのか。何を聞いてどう言いたかったのか。ひょっとすると泣きながら生まれてきて、泣きながら命を終わっていく、そういうあり方をする場合もあるのではないかというようなことが思われることでございます。

資料の一番はじめにあげておきましたのは、私が大谷大学に入った頃に読みました書物に金子大栄という先生の『人』という題の書物がありますが、その中に古歌として出ておったことばです。

「人多き 人の中にも 人ぞなき 人となれ人 人となせ人」

こういうことが、ずっと古くから言われてきたようでございます。と申しますのは、今日の講題にもありますように、人に「成る」とはどういうことかということを古い時代から私たちは考えてきたわけでございますね。人というのは、もう当然自明のことになっておるように思いますけれども、本当にどういうのを人というのかということでございますね。

これは小学校の国語の教科書によく出ておったと言われるんですが、司馬遼太郎さんは「私は人という字を見るとき、しばしば感動する。ななめの画が、たがいに支え合って、構成されているのである」と、人という字の斜めに支え合っているところに感動するということを言っておられるようでございます。

人というのは立ち上がった姿だというのがその元の意味だそうですけれども、私たちは実際にはお互いに支え合って生きておるという、こういうことが人ということでございますね。したがって、人というのは、人と人とが支え合って初めて人である。こういうことでありましょう。人間(にんげん)、人間(じんかん)と言われますように、間があって初めて人である。こういうことでありますね。

ところが、私たちは支え合っておる、お互いに人と人とは持ちつ持たれつだということはよくわかっておるつもりなんですけれども、「あなたは支えている方ですか、支えられている方ですか」ともう一度問い直しますと、「それは支えるときもあるけれど、支えられるときもある」と答えるというようなことでね、ほとんどいい頃加減にその辺の内容を了解しておるのではないかと思います。

「人は老いると美しくなる」と言われた先生がありますが、あるおばあちゃんが「しかし、この歳になりますと支えられてばかりです。若いもんにみんなお任せです。支えられてばかりでありがたいことです」と、こうおっしゃいましたから、お念仏の教えをいただくとそんなに美しくなるんかなと思って、「そうですか、そうですか」とうなずいておりましたら、「それでもね、昔は支えてきたんだから、今は支えられて当たり前ですね」と。

やっぱり、私がこちら(「人」の2画目、右で支えている方)なんです。今になったら支えられておると思っても、昔は支えたんだから、今支えられても当然である。やっぱり、支えられておるということにはなかなかうなずかないのですね。支えておる自分ばかりを見ておる。こういうのが私たちではないでしょうかね。

ですから、人の間(あいだ)と言うけれども、間なんか忘れて自分が先にあるように思うとるんです。間を忘れて生きておるのを「間抜け」と言います。本当に間を抜いて生きておる。これが私たちの生活でなかろうかと思います。それどころか、都合が悪くなりますと、傍(はた)に人がおることが邪魔になる。そして、時によってはいない方がいいんだとさえ思う。隣に人がおることを忘れて生きておる。こういうのが私たちじゃないんでしょうか。今日、このお寺にまいらせていただきましたが、そういう人間のあり方に対することばが掲示板に出ておりましたね。「えらび、きらい、見捨てる我々の心。えらばず、きらわず、見捨てずの如来の心」

私たちは、自分が支えておるという前提に立っておりますから、自分にとって支え甲斐がないときには、必ず選び、嫌い、そして見捨てて生きておる。こういうことになっておるんじゃないかと思いますね。

お互いに支え合っておるということを、お釈迦様のお悟りでは「縁起」とおっしゃったんですね。私が先にあるんではなくて、縁によってあるんですよというふうに教えられてきました。こんなことを忘れておるんですね。

人間というのは、やっぱり教えられて初めて人間になっていくんですね。オタマジャクシはほっといてもカエルになるそうですけれども、人間は、ご承知のように、オオカミに育てられますとオオカミ少女という例もあるように、四つ足で歩き、朝夕が逆転し、吠えて、お茶碗を持ってご飯を食べることすらしない。口から食べ物の方に近付いていく。そういうことになるんだそうでございますね。

私たちは、教えられていくということが非常に大事なことなんでございましょう。ところが、今申しましたように、自分のことはわかっておるつもりでおりますから、なかなかそういう教えに耳が傾けられんのですね。みなさんは、こんな3連休の最後の日によく勉強しに来られますけれども、それこそ普段はなかなかそういうことに気付かないわけです。

2年ほど前でありましたか、推進員の方にいただいた年賀状にこんなのがありました。なかなかいいことばをいただいたなと思っているわけです。

「眠っている人を目覚めさせることは易しいけれど、目を開けて眠っている人を目覚めさせることはなかなか難しいという話を聞かせていただきました。自分の意志で目を覚ます人はないでしょう。目覚めへと誘ってくださる他力の教えに出遇わせていただかなければと願う年の初めです」

ところがそれほど私たちは自分のことには気がつかないわけです。

お正月にご夫婦で高速道路に乗って走っておられた方の会話です。2つ、3つとトンネルを通ったときに「暗いな」と感じたんだそうですね。それで「えらい暗いね。このごろ高速道路もエコを考えているのかな」「そうだわね、エコかわからんね」─こう2人で話をしておられた。そして、途中でドライブインに立ち寄ってトイレへ行った。それではじめて気がついたそうです。二人ともサングラスをかけておった。

つまり、そういうふうに見ておるわけですよ。はじめから私の眼(まなこ)は確かと、こう思っておる。

ですから、そういうことから言えば、何しに生まれてきたかもわからずにいのちが終わっていく。こういうことじゃないんでしょうか。

お経さまのことばを聞きますとですね、これは『大無量寿経』という、聖人が真実の経だといただいてくださいましたお経さまによりますと、こんなふうなことばが出ております。

(原文)「従右脇生、現行七歩、光明顕曜、普照十方、無量仏土、六種震動、挙声自称、吾当於世、為無上尊」

(書き下し)「右脇(うきょう)より生じて七歩(しちぶ)を現ず。光明顕耀(けんよう)にして普く十方無量の仏土をを照らしたまう。六種に震動す。声を挙げて自ら称ふ、『吾当(まさ)に世において無上尊となるべし』と」

これはお釈迦様の降誕といったことを思いながらのことばなんですが、右の脇から生まれて七歩歩かれた。右というのはだいたい得手のいい方ですね。全部得手のいい状況のところに生まれたけれど、やっぱりそこから生まれてもう七歩歩いたというふうに書かれております。一般の通仏教の伝承では、ご承知のように「天上天下唯我独尊」ということばと同じでございますね。

では、七歩って何を表すのか、それは釈尊が一生かかって人となる道を歩んでくださった、その最期に至るまでの生涯を、誕生のところにその意義を見出だすと、それは、七歩歩いたということになる。釈尊がこの世に生まれてくださったということは、同時に私たちがこの世に生まれたということと同じ意味を持つんですが、それは七歩を歩むために生まれてきたんだと、こう謎を解いてくださった。

その答えが「無上尊となるべし」。「いつか」ではなく「まさにこの世において」ということですね。先ほど「オギャー」が謎のことばだと言いましたけれど、人間はみんな「オギャー」と言って生まれてくるそうですね。ロシア語ではどう言うのか知りませんけどね、「エギャー」というわけではなさそうです。あるいは不甲斐ないから「フギャー」と言って生まれてきたんだと、そういうことでもないんですね。その国のことばでどうおっしゃるかはわかりませんけれど、みな同じ音。音の高さも同じだそうですね。どんな高さかというと、ハ調のラだろうと聞いたことがあります。お母さん方、こどもさんを授かったとき、どうでしたか。しかもあの高さは、時報のいちばん最後の音の高さだそうです。つまり、誰にも通ずるような、誰にも聞いて欲しいというような、よく通る、そういう高さの音で生まれてきたようでございます。

ところが、そこは同じだったんですけれども、その意味がなかなかわからない。その意味を、その謎を解いてくださったのが七歩歩むということで伝えられてきたんです。じゃ、七歩て何やねん。六歩より一歩多いというんです。それはわかっておるじゃないかというんですが、その六歩は実は「六道」ということなんですね。

私たちは、その謎がわかりませんから、その謎を解かないまま一生を終わっていくのではないかと思われます。杉山平一という方の「生」という詩にこんなんがありましたね。

「ものをとりに部屋に入って 何をとりにきたか忘れて もどることがある / もどる途中でハタと 思い出すことがあるが そのときはすばらしい / 身体がさきにこの世に出てきてしまったのである / その用事は何であったのか いつの日か思い当たるときのある人は幸福である / 思い出せぬママ 僕はすごすごあの世へもどる」

下手をしますとね、そういうことで行くんではないかと思いますね。清沢先生はそんなことを、こういうふうにおっしゃいました。

「自己とは他なし、絶対無限の妙用に乗託して、任運に、法爾に、此現前の境遇に落在せるもの即ち是なり」(『臘扇記』明治31年10月24日付)

なかなかそんなふうにいただけるものではないですね。で、その七歩の内容ですが、「六道」を超えるという意味だと言われております。「六道」というのは、人間を中心とはしますけれども、生きとし生けるもののあり方・状況を表すことばですね。地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道。これは仏教の大きな考え方から言いますと、みな欲界、つまり欲の世界に属するというふうに言われておりますね。それは、自分を中心にして自己の主張を立てていきながら、そうはなりませんから、結局不平不満で終わっていく、そういうあり方でございますね。

地獄というのは、最も苦しい状態だと言われますね。獄ですから。「けものへん」が「言う」に「犬」と書いてありますから、なんぼ言うても通じんのが地獄やと言われます。言えば言うほど通じない話。犬が吠えとるんと同じ。こういうことですね。

「言うても通じないのを地獄という。言うてようやくわかるのを人間という。言わなくても通じるのを極楽という」

こういうふうにおっしゃった先生もおられます。

少し身近にいただきますとわかりますね。つまり、最も苦しい状態のことを地獄というわけですが、それは欲が全く反対の方向に行っておる。だから、地獄というのは戦争を表すというふうに了解をされた先生もおられますね。よくわかります。

憲法9条を改正しようという動きもあるようですけれども、結局は改正するということは戦争をしようというわけでしょう。そのほかに何の意味もありませんね。そういうことが今日も起こっておる。こういうことでありますね。

それから、餓鬼というのはまったく欲望が満たされない状態、いつも欠乏状態・飢餓状態。こういうのを表すのが餓鬼ですね。

そして、その次に出てまいりますのが畜生ですね。これは、動物をも含めておるんですが、ぶら下がって生きるようなあり方を畜生といいます。人にぶら下がって生きる。人間の私の生活の中にもあるでしょう。ことばが通じない、そしていつも戦争状態にある。鉄砲こそ撃ちませんけど、毎日やっとんのはそんなことでしょう。こんなふうに言われた先生がおりますよ。

「仏法と鉄砲はさかさまや。鉄砲は人は撃つ、仏法は自分を撃つ」

人を撃っている私自身はどの程度のものか。こういうことでございますね。そうしますと、地獄も餓鬼も畜生も私のところにありそうでございますね。自分さえよければいい。こんな川柳がありました。

「青信号 俺が行くまで 変わるなよ」

俺が行くまでです。そのあとはいいんです。そういうあり方ですね。いつの間にか、もうそういうふうにしか思えない形になっておる。こういうことですね。

最近は畜生ということでも「自己家畜化現象」というようなことが言われておりますね。家畜というのは、動物を人間が都合のよいように育ててきた。そして、何百頭も何千羽もいっぺんに飼いますからストレスを起こしてしまう。結局、そのことで自分自身を苦しめてしまう。人間もどうも同じようなことやと。自分の都合で、つくり上げた文明で、死ぬことも忘れてきたようなそんな考え方にみんな飼い慣らされて、そして家畜化していったのが人間ではないか。人類学では、そういうことを「自己家畜化」と言うんだそうですね。

それから、修羅というのは喧嘩の絶えない、喧噪の絶えない状況ですね。人間というのは、ご承知のように欲望が満足して「ああよかった」というときもあります。けれどもほとんど十分とはいかずに、やはり不足がある。まあ、よかったというのは知れてるんです。「ああよかった」と帰って来るときがあるでしょう。けど、よう考えたら自分だけよかっただけなん。隣の人は困っておられたかもわからんのです。そんなことには思いも寄りませんですね。

そんな状態ですから、夫婦でもそうなるんですね。こんな川柳がありました。お父さんがちょっとも動かんのでお母さんがちょっと頭に来たんですね。テレビのリモコン持ってね、シャッと主人に向けたそうです。

「動くかも 主人にリモコン 向けてみる」

これくらいじゃ動きませんね。「少しは手伝ってよ。シャッ」ってやったんですけどだめだったんですね。どうでございましょう。

「お〜いお茶」っていうお茶があるでしょう。別にお茶の宣伝するわけじゃないんですが、これは桂三扇という女性落語家が言っておったんですがね、男女共同参画とかいう題名の会だったんでどんなことおっしゃるかと思って、私行ったんです。そしたら、ちょっと落語がありまして、その「お〜いお茶」のことを言っておられました。「おーいお茶」ってご主人が言ったときどうされますかと聞いたら、ほとんどの女性の方が「今、忙しい」「もう少し待って」「あとにして」と、こうおっしゃる。ところが桂三扇さんが言うにはね、「おーいお茶、いれようか」って言うたらすむ話。言った本人が欲しいのなら、あなたも欲しいんじゃありませんかという、それだけの配慮でいいんじゃないか。「おーいお茶、いれようか」これですね。その一言が出て来んのですわ、私たちは。そして、自分で独立しておるようなことを言う。お茶一杯だって支えられておるんですが、なかなかそんなことには気がつきません。そういうのが私たちのありようですね。

そして最後は天上界ですが、天上界というのはみんな私たちの欲望が満足した状態だそうです。全部、思うようになった。ところがね、思うようになっても心配はあるんです。今度いつ落ちるんやろうと。だからね、天の一番上を有頂天と言う。次はまた地獄へ行く。そういうところをグルグル回っとるだけではないのか。結局私たちは自分の欲望の奴隷になって、その間をグルグルグルグル回っておる。こういうことでございますね。

そういう私に助かる道があるのか。そこから一歩出る道があるのかということですね。全部濁るんです、私たちのやっておることは。自分中心で考えますから、欲で考えますから。こうも言うてましたね。

「クチ(口)も濁ればグチ(愚痴)になる。トク(徳)も濁ればドク(毒)になる。エコも濁ればエゴになる」

みな濁しておるんです。表向きは立派なこと言うとるようですけどね。そういうのが私たちのありようでございましょう。そんな私に夢があるかということです。夢ばっか追うてますけど。夢というのは大体破れるためにあるんですからね。夢から破れて夢を追うという人はないんですよ。けどね、やっぱり夢を見るんです。

今日も京都から新幹線で来たんですけどね、新幹線の切符売り場で言っておったと言うんです。駅員さんが「のぞみはない。ひかりはある」と。そうですね。自分の都合にいいような望みなんかない。けど、その望みなき私を包んでおる大いなる光はありますよ。こういただけませんでしょうか。その光に気がつかずに、自分の望みを立てるんです。

「こだま」はもっとありますね。ほとんど自由席ですからね。「こだま」で思い出すんですけどね、中学校のクラス会です。この名前が「こだま」ではなく「やまびこ」なんです。実はこの会の名前をつけるとき、1つ年下のクラスは元気があって、辰年と巳年の生まれのクラスなので「辰巳会」と名付けた。私たちも負けんと活動しようではないかと、言い名前を探したけれど、「辰巳」の上ですから「卯辰(うだつ)」や。年回りで付けたらそれこそ「卯辰会」でかっこ悪い。で、あるとき「やまびこ会」にしようと決めた。何でと言ったら「おーい」と言えば「おーい」と答える。10年会うとらんでも20年会うとらんでも、「生きとるか」と言ったら「生きとるか」と返ってくる。「元気か」と言ったら「元気か」と返ってくる。これですね。やまびこというのは返ってくるんです。

ところが私たちは「あの人、あかんたれなあ」ってこう言うと、向こうは「あかん」ので、自分は「あく」と思っておるんです。おかしいですね。「阿呆」と言うでしょう。そうすると「阿呆、あほう、あほ、アホ…」とこっちへ返ってくるんです。やまびこと言うのは、自分のことを言うておるんですよ。そう思わんから、自分の連れ合いでも親でも子でも、向こうが問題だと言うとき、言うとる自分がいちばん問題じゃありませんか。そういう私自身にもう一度帰ってみる。そういう世界を私たちがどこで頂戴することができるのか、そのことが大切なことだと教えられていることでございますね。

だいたい、いつから親になったと言うと、こどもが授かったときからですからね。私たちは親の方が上やと思っておりますが、こどもが授からなかったら親にはなれませんものね。授からなければ、どなたかにこどもになっていただいて、はじめてお父さん・お母さんということばが出てくるわけです。だから、親子って言いますけれども、よく考えたら同級生でしょ。こどもが授かったときに親になったんですから、同級生です。でも、そうは思わない。自分の方が上やと思ってます。

考えてみると、こどもが授かったおかげで、親というより人にさせてもらったんじゃないですかね。なかったら何しとったかわかりませんね。勝手のし放題。けれどね、そういうときに、やっぱりサイドブレーキを引いてくださるような、そんなはたらきをしてくださったんじゃありませんかね。親子は同級生。夫婦もそうです。いつから夫婦になったかと言えば、結婚したときですから、同級生です。ところが、自分は歳が上やからおまえは下やと。それは私の考えです。いつからおじいさんになったのか、これもそうです。孫が授かったときです。孫が授からなかったら、おじいさんにもおばあさんにもなれません。ただ、若いおじいさんやおばあさんは嫌やからね、そんなことを言わないで、私の知っとるのでは「マミー」って言わしとる。「パピー」って言わしとる。けどね、同じことです。

この頃はしかし、統計によるとこどもは要らないと結構思っている人が多いようですね。要らないって、授かりなのにね。結婚はしなくてもいいと思っている人がたくさんおられる。ずいぶん増えたようですね。けど、自分がいのちをいただいたんですからね。ご縁があったらやっぱり次のいのちをいただいてほしいという、こういうことがあるのが自然でございましょう。そういうところにまで、この頃はいろんな状況から人間の判断で決めていくということがずいぶん多くなっておりますね。

そういうことから言えば、私たちは同級生です。と同時に、もっと言いますと、みんな同点なんです。いや違うと言った人もおります。学校の先生がね、真面目な方だったんでしょうね。同じ教室で同じように授業をして、そればかりか、わざわざできない人は残してもういっぺん丁寧に教え直して、宿題も出して、そして同じペーパーテストをすると、100点の者もおるし30点の子もおる。そんなものは先生の点数と違う。児童の点数、生徒の点数に決まっとる。こうおっしゃった人がおります。

そうおっしゃったから、私「それはそうですね。先生、一所懸命考えておられるんでしょう。けどね、それほど一所懸命に教えていただいて30点しか取れない生徒に対しては、先生も30点の先生じゃありませんか。100点取れば、先生も100点の先生でしょう。けど、あれほど一所懸命しても30点やったなというところに『同点』ということがなければ、それこそお互いに育っていくということはないんじゃないですか」ということを申し上げたんですが、どうでしょう。

同点でしょう。いや違う。私の孫は9人おるんです。男ばっか。すると孫に点付けますからね。けどね、いろいろ点付けますけど、80点付けた孫には、私も80点です、たぶん。あれはだめやな、どうもならん奴やな言うて30点の孫やなと思っておると、その孫に聞いたら言いますね、「じいちゃん、あんまり嫌いや」て。こっちゃが嫌いやて言うとったら、向こうも言いますわね。同点なんです。勘定は合うておるんですね。にもかかわらず、そういうことを向こうの問題やと意識しておる。そのためにね、何度も回るんです、六道を。私の問題やと引き受けて、そこから一歩出る世界を頂戴する。こういうことが大切なんでございましょうね。

アメリカであったことだと聞いておりますが、1時間の授業の最後の1分間で、クラスの中でいちばん嫌いな子の名前を書いたらどうやというアンケートをしたそうですね。フルネームでもいいし、イニシャルでもいいからと言うて紙を配ってテストのようにして1分間で嫌いな人の名前を書いた。ところが、後から出されたアンケートを見て、はっきりしたことはね、嫌いな子の名前をいちばんたくさん書いた生徒は、そのクラスの中でいちばん嫌われ者やったそうです。そこだろうと思うんですね。そういうことを忘れておるんだと思います。

そして私たちは、全部、点数を付けるものはみな相対評価で付けるんです。点付けることは好きですからね。こんな漫画もありましたね。夕食の時に、こどもがお母さんに「お父さんの点数てどれくらい」と聞いたんですね。「おとうさん? どれほどまけて点数をあげても60点や」とこう答えた。60点パパや。「ふーん、お父さんは60点。お父さんはどう思う」て、今度はこどもがお父さんに振ったんです。そうしたら、お父さんどう言ったと思います。「2人合わせて百点か」、相手は40点いうことですね。あわせて100点や。そういうことですね。みんな自分から見るんです。

先般も、そんな漫画もありました。僕はよく新聞の漫画を見るんです。四コマ漫画ですね。四コマ目がだいたい落ちなんです。1コマ目で奥さんどうしがしゃべっておられるんです。「娘がこの頃、痩せろ痩せろって言うの」と1コマ目でおっしゃる。そしたらそれを聞かれた奥さんがね、「娘さんてね、お母さんにはいつまでもきれいであってほしいからね」と言うて了解したんです。そしたらね、最初の奥さんが3コマ目で「違うの」って言うんです。びっくりして「どう違うの」と言ったらね、「『介護するのがたいへんだから』って」。まあ、それでも介護していただけたらよろしゅうございますね。

先般も、家内が病院へ行ったんです。珍しく点滴を打たんならんような状況になったようで、いっぺん打とうかと打っていただいた。先輩が3人おった。常連なんですね。常連ですから、点滴を打ってもらいながら大話をしておるんです。だいたい60代、70代、70をちょっと超えたくらいの人。聞いておると「私たちくらい『損番』はない」と。なんでそうおっしゃったかと言うとね。「精一杯親の面倒を見させていただいて、さあ、自分がその歳になって見てもらおうと思ったら『そんなことせんでもええ』。こんな損なのはない。これは政府が悪い」と、こうおっしゃったんです。「介護保険いうものは作るもんやない」と。介護は国がするもんやいうことになって、こどもはもうそこから引いてしまった。

先般も法事の際に、「来た嫁さんは、参っては来たけれども、お茶の一杯を出そうという手伝いをしてくれなんだ」と。終わったら「はい、さいなら」と帰ってったと。まだそんなのはいいんですよ。

「法事に 来ない嫁行く クラス会」

というのがあったからね。そんなことですね。みんなそんなんです。しかも、その点の付け方も、今の教育というのはみんな「差つけ」でしょ。競争でしょ。だから、あの人に勝たないかん。隣の子が何点とった、それよりとらなきゃダメじゃないの、そんな形で点付けることばっかりです。差を付けることだけです。

こんなおもしろいこと言った人がおりました。「差が取れたら『さとり(悟り)』になる」

さとりというのは、差付けの私に頭が下がるということでしょう。もっとおもしろいこと言った人がいます。これは神父さんが言ったの。

「草取りの『く』がなくなったら『さとり』です」

そうでしょう。草を取っておりながら苦にしておるんです。一所懸命身体は動いとるんですからね。それをこころが引き受けんもんですから、わざわざ苦にしておるんです。そういうようなあり方をしておるんではないかと思いますね。

これは私びっくりしたんですが、昨年の7月の16日の新聞でございました。こどもの通信簿、通知表の表現です。点数だけでしたら、統計を取って正確にさえ点を付ければ5段階であろうと10段階であろうと一応まずまず公平に付けられると思います。ところが、学校での活動の様子、生活の様子、クラブ活動の様子という「人なり」を表現するときに困られるんだそうですね。それで、通信簿に言い換え表ができたんだそうです。ちょっと読んでみます。「こどもの様子」と「通知表での表現」と、こんなんです。

【こどもの様子】→【通知表での表現】

本当にこう思われたらいいんですよ。本当に先生がそのように思われて、そのように書き直されたんであれば、十分です。けど、生徒を意識してご父兄を意識してもしこういう表現になったのなら、ごまかしの上にごまかすんですから、本人の自覚もできませんですし、ご父兄の教育にもマイナスになります。

つまり、私たちは絶対評価ならいいんです。阿弥陀の世界、仏の世界はみな絶対評価なんです。できてもできんでも、それは絶対評価です。けれど、相対評価を言い換えて無難にすごそうというのであるならば、どうなろうとやっぱり不平不満が残る。こういうことになるんじゃないでしょうか。

『阿弥陀経』では、浄土にあります蓮華の花の象徴的表現としてこのように出ております。

「池の中の蓮華、 / 大きさ車輪のごとし。 / 青き色には青き光、 / 黄なる色には黄なる光、 / 赤き色には赤き光、 / 白き色には白き光あり。 / 微妙香潔なり」

みな青は青で光っておるし、赤は赤、黄は気で光っておる。比べる必要はない。そういう絶対評価をいただく。こういうことでございましょうね。それが、仏さまの智慧をいただいていく、縁起の法をいただいていく内容になるんだと思います。

一度、藤田ジャクリーンさんという方に講演をお願いしたとき、引き受けていただいた手紙の中にこんなことばがありました。この方は、はじめに「南無阿弥陀仏」と書かれるんですね。「南無阿弥陀仏」と書くと絶対評価なんですね。その次にこう書いてありました。梅雨のシーズンでありましたので「南無阿弥陀仏、水晶のような如来様の梅雨でございます」

びっくりしました。梅雨と聞いたら「うっとうしい」というのが連結しておるんです。そうではないですか。南無阿弥陀仏と響けば、この今を、本当の意味で絶対評価として「現前の境遇に落在せる」(清沢満之『臘扇記』既出)このものとしていただいていくことができる。こういう世界をいただくんではなかろうかと思いますね。

私たちは「差つけ」ばかりやっておるんでしょ。そして可哀想にこどもを塾へやって、朝から晩までお母さん方はこどもさんの尻を叩いておる。競争や、こどもは。だから「競育魔々」と言うんです。競争をさせて育てておる。そういうことですね。

親鸞聖人は「無上」ということばを仏さまに付けられるんですね。「無上尊」というのは仏さまのことです。七歩歩いて「無上尊となるべし」と叫ばれたということは、仏さまに成りたいとおっしゃったんですね。それは、本当に尊敬するものに出遇いたいということでしょう。

「無上」というんですから、これは比較を超えておるということです。無上は有上に対することばと言われていますから、比較を超えた絶対評価ですね。損得、良し悪し、好き嫌い、そういうものを超えておる。こういうことですね。

「如来ともうすは、無碍光如来なり。尊号ともうすは、南無阿弥陀仏なり」(『唯信鈔文意』)

「尊い」ということは「南無阿弥陀仏」について言っておる。こういうことですね。私たちは仏さまを拝みますね。それは、尊い「もの」として拝むのでないんですね。尊い「こと」が私の上に現実におこっていると、そういうことで拝むわけですね。

昨年の8月27日から9月の1日まで、敦厚へ行ってきました。莫高窟で有名なところです。以前にも行ってあったんですが、どうも最近だんだんと湿気が増えてたくさんの人が見学すると壁画が傷んでいくから、そのうちに閉めるんではないかという噂がありまして、ユネスコなどが言っておるんですね。それで今のうちにということでもう一度行ってきました。今はセンサーがついておりまして、窟の中に何人入ったか、温度が何度で湿度が何%かということが全部わかってましてね、解説の人が何分しゃべったかということまで出ておるんです。で、ある程度の温度と湿度になったら全部閉める。だから、なるべく朝早く見学させていただくということだったんです。

ところが、そこから150キロぐらい離れたところに楡林窟というのがありまして、そこにもまだ全部は開放していないんですけれども、最近発見された窟があります。そこを見学させていただきました。そこへ行って、ひとつびっくりしたことがあるんです。天井にたくさんの仏像が描いてるのですが、ひとつひとつに名前が付いているんですが、南無阿弥陀仏、南無薬師仏、南無須弥仏というように、みな「南無」を付けて書いてあるんです。ご承知のように、南無というのは、私は仏さまに帰依しますということですね。ところがここでは、仏さまに帰依する前に仏さんの方から私に帰依しておって、私を見ておってくださる。こういうことを形として現しておられる窟だなとあらためて思いました。

真宗でも、仏さまの名前は阿弥陀仏だけでなく南無阿弥陀仏でしょう。帰命尽十方無碍光如来、南無不可思議光如来です。四字の名号でなく六字の名号でしょう。八字の名号でなく十字の名号、七字の名号でなく九字の名号です。みな、南無が付いてるわけです。南無が付いておるということは、阿弥陀に帰依をするということを含めて、阿弥陀の方から私に関わっておってくださる。そういうことですね。

真宗のご本尊(阿弥陀如来)は立っておられるでしょう。日本でも、有名な仏像はみな座っておるんです。立っておられるということは、向こうから立ち上がってこちらへ来とってくださっているということをあらわすんです。ちょっと前屈みです。お迎えに来とってくださるんです。つまり「南無阿弥陀仏」ということばのところまで来とってくださる仏さま。「南無阿弥陀仏」と出ることがいちばん尊いことなのです。

「如来ともうすは、無碍光如来なり。尊号ともうすは、南無阿弥陀仏なり」(『唯信鈔文意』)

「南無阿弥陀仏」と申せることが尊いことなのです。「無上尊」になりたいということは、阿弥陀に帰依するような私になりたいということなのです。私はその意識はありませんけど、そういうことをずっと深く願いながら生まれ出たんだろう。こう私のあり方を教えておってくださることばであろうと思いますね。

無上尊というのは、先ほど言いましたように比べる必要のないもの、最近流行りのことばで言えば「オンリーワン」、それは「ナイスワン」や。鈴木大拙先生は、妙好人の「妙」という字をワンダフルと訳されたそうですから「ワンダフルワン」や。そういうことを、南無阿弥陀仏というところに感じ取らせていただくご縁が結ばれておるんだというふうに、教えておってくださるんでございましょう。

親鸞聖人は、畜生と人間との違いについて「涅槃経」を引用してこうおっしゃってます。ちょっと読んでみますと、

「慚は人に羞ず、愧は天に羞ず。これを慚愧と名づく。無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす。慚愧あるがゆえに、すなわちよく父母・師長を恭敬す。慚愧あるがゆえに、父母・兄弟・姉妹あることを説く」(『教行信証』信巻)

慚愧というのは恥じる、身近なことばで言えば「すみませんね」「申し訳ありませんね」ということでしょう。そういうことがあるから人と名付けるんだ。私たちは、慚愧など関係なしに生まれたら父母もあったんだし、兄弟・姉妹もあったと思っていますね。ところがここに書いてあるのは、慚愧があるから父母・兄弟・姉妹があるんだということです。ということは、お父さんにすまんな、お母さんにすまんなということがあってはじめて親がある。兄貴にすまんな、妹にすまないことしたなということがあって、兄も妹もある。もしそういうこころがないなら、ないのと同じだということでしょう。どうでしょうか。

どういうのを人間というかということについて、こんなふうに言われた先生がありました。米沢英雄という先生だったんですが、「旅行に行って景色を見るだろう。そのときに、ああ、あの人も連れてくればよかったな、お母さんにも見せてあげたいな、お父さんにも見せてあげたいな」と思うのが人間やと、こういうふうにおっしゃいました。どうでしょうか。

今日は成人の日ですけどね、こんなことを書いておられた方がありました。どんなことを成人式で聞いてこられたのかわかりませんが、帰って来られた息子さんがお母さんを座らせて、自分もその前にきちんと正座をしてこうおっしゃったそうです。「お母さん、二十年間、育ててくれてありがとう」

お母さんは、そんなこと考えたことないからびっくりしてしまって、思わず涙が出た。そして、やっと答えられたのが「ああ、あんたも大人になったんだね。こちらこそありがとう」ということばだったんだというんです。

ありがとうということばは、言われてもいいし、言ってもいいことばです。けど、これが出てこんのですわ。

「『はい』は二字 『ありがとう』でも 五文字だよ」

その二字と五文字が出てこんのです。南無阿弥陀仏は六文字や。でも、これが肝心なときに出て来ん。なんでもないときには「なんまんだ、なんまんだ」と言うんですけれども、腹が立った最中に出てくださるといっぺんに解決するんですけどね、そうはいかんのですよ。ころっと忘れとる。けれど「南無阿弥陀仏」に触れたらまたそういうことがあらためて思い出される。こういうことでありましょう。

私たちはいつでも自分を中心にして生きていますからね、思い通りにすることをお頼みするのが宗教だというふうに誤解されておることまであるんですね。先般も、新聞を見ておりましたら、こんな方がありましたね。「ぽっくり寺ツアー」へ行ったというんです。そのことについて書いてありました。

「70に入った途端に身体のあちこちに故障が出てきた。脚が悪いため外出も億劫に。刺激が少なくなったせいか脳の働きも鈍くなった。ことばに『あれ』『それ』の連続が多くなってきた。おまけに知人の大病や訃報が相次いで入ってくると不安になり、エンディングノートや葬式のあり方など書き立てられると、急かされているようで焦燥感を覚える。元気なうちにと夫婦で『ぽっくり寺』のバスツアーに参加することにした。車中では『家族に迷惑をかけたくない』『長生きはいいけど、チューブにつながれて生かされるのだけはごめんだわね』というやりとりが聞こえる。姑も母親も同じ思いだったのかと想像しながらお参りした。願いがかなったのか、2人は心筋梗塞であっかなくこの世を去った。私もあやかりたくて参ったはずなのに、神妙に手を合わせ無心に『南無阿弥陀仏』を唱和している夫の横顔を見た瞬間、御利益が早めにあって先にぽっくりとバイバイでもされたらどうしようと思った。早すぎる願掛けを聞いていると、3年は続けてお参りくださいとのご宣託。もう少し残りの人生を享受してからあらためて2人でおまいりさせていただくことを心に誓い、ほうほうの体で坊を後にした」

みなそうでしょ。ピン、ピン、コロリ言いますね。ピンピン生きてコロリと逝っておしまい。PKOちゅうの。そういうふうに、自分の都合のいいように考えているわけです。

このごろは合格グッズが盛んでしょ。キットカットなんていうのは郵便局とタイアップしてね、ちょっとした文章を書いて送れるようになっとるそうです。エースコックっていう食品会社あるでしょ。あれね「英・数・国」。それで、わかめラーメンを「英数国のわかるラーメン」て、また売り出しますよ。

名古屋の動物園もなかなか苦労しとるんですよ。東山動植物園にはコアラが多いんです。コアラで注目を集めようと思って、コアラのフンを集めて牛乳パックを煮沸消毒して、それでしおりを作るんだそうです。コアラのフン入りしおり。そこに「必勝、職員一同」と書いて配るんだそうです。プーンとユーカリの臭いがするって言うてました。うんこの「うん」に「運」をかけてるんです。何でコアラかと言うと、コアラというのは24時間中、18時間から20時間ぐらい木の上で寝るんだそうですね。なのに、木からは落ちんのです。寝てても落ちんコアラの「うん」のついているしおりを持って合格してください、とそういうことです。語呂合わせというのは、何でもそんなものですね。都合がよければそんなところまで行きます。

そんな私たちの、そういうあり方そのものを根本からひっくり返してくる。それが南無阿弥陀仏の教えですね。

「入試の日には風邪をひきませんように」─こんなんよろしいね、まだ。「努力した人が報われますように」─これならいいです。しかし、そのうちにどうなって来るかと言うと「知ってる問題ばかり出ますように」─。そのうちにこうなる、「ライバルの絵馬を見つけて裏返す」─。中にはこう書いてあったのもあると言うんです、「頭のいいやつはみんな風邪で倒れろ」。そんなふうになって行くんですね。

昨年の4月でありました。京都の嵯峨野に佐野籐右衛門さんという桜の職人さんがおられますね。全国どこへでも、桜と聞けば追いかけて行かれる方です。円山公園のしだれ桜を手がけ、ご自分の嵯峨野のところでも育てておられますね。この方がNHKの「こころの時代」に出ておられて、えらい腹を立てておられるんです。びっくりしました。「脳死になった人を植物人間と言うやろ。あれはどういうこっちゃ」、こう言って怒っておられました。聞き手のアナウンサーはすぐに気付いて「そうですね。そういう言い方は植物に失礼ですね」と言ったら、「植物に失礼なだけではない。自然に対する冒涜だ」と、こうおっしゃった。なるほどね。私もそんなことばを使いますから、考えさせられますね。まあ、そんなことがずっとあるわけです。

コンビニで働いておった青年がこんなことも言っておられました。定職に就かれてから、いつも思うと言うんです。コンビニにおった時に、賞味期限切れで残った弁当やなんかを全部ドサッ、ドサッと段ボールへ落とす。あの音が嫌やったと言うんです。けれど「そんなもの鬼になってそうせい」「目をつぶってやれ」というふうに命令が出るので、そうしておった。みなさん、コンビニへ買いに行きますと、弁当をどこから取ってきますか。私は、後ろから取ってくる。この青年は、前から取るそうです。今日食べるものなら、前から一つ取れば、これで一つ捨てられるものが減るかなと言っておられました。なるほどなあと教えられましたね。それからは私も、ちょくちょくは前から取ります。2、3日置かんならんもんは、やっぱり後ろから取る。それを普通にしてしまうんですね。そういうのが私のありようです。

これは榎本栄一さんの詩ですが、

「大根を抜いた / その穴に百円玉をチャリーンと入れたい」

こう書いてあります。そのことについてこんなコメントが付いておるんです。

「私は大根の種を撒いただけ。何もしていない。太陽や雨や空気や大地など、すべてのおはたらきをいただいて、大根さまは大きくなられた。私が生きるために、その大根のいのちをいただかねばならない。一本抜いたらぽかりと穴があいた。大根さまをお育てくださった限りない天地のおはたらきにお礼がしたくて、その穴に百円玉を入れたくなった」

私は、そのようないただいたいのちを全部忘れて、自分だけで生きてきたように思っております。そんな私に六道を超える道があるのか、こういうことでありますね。全部自分の思うようにと言っておる私に、なかなか「ある」とは簡単に言えませんね。

私と浄土の世界との差は、経典には「西方十万億土」の世界を過ぎてあるんだとあります。「西方十万億土」ということを計算してくださった方があるんですね。どこまで本当かわかりませんけど、近畿数学史学会の会長をしておられた大阪工業大学の山内俊平という先生が計算したところ、10京光年だったというんです。ご承知のように、光の速さは1秒間で30万キロ、地球を7回り半と言われます。1光年でも、その1年分でしょう。10京というのは10の17乗だそうですね。兆のもっとずっと上の単位ですからね。それぐらいある。

この計算が発表されたのは、まだ高田好胤さん(法相宗の僧。薬師寺第124世管主)が生きておられた頃でした。さっそく高田好胤のところへ新聞記者が行って「こんな計算をされた数学の先生がおられますが、どう思われますか」と聞いたんですね。そしたら、高田好胤は「それは、どんなにもがいても行けない距離」と言った。

けれど、どんなにもがいても行けない距離ですけど、榎本栄一さん流に言えばこうなります。

「しぶとい / この頭がさがったら / 浄土の光は / こんなところに」(榎本栄一「光は」。『難度海』所収)

こちらからは行けない。けど、向こうからは来ておってくださる。そういう世界があるはずだ。こういうことでありましょうね。私たちはこちらから行こうとしておりますから、永遠に行けんのでしょうね。人間は、自分に対する執着が最後まで持つんですね。

サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジというのは、自殺者が飛び込みをするので有名な橋なんだそうですが、自殺を研究しておりますロサンゼルスのシュナイドマン(Edwin S. Shneidman、カリフォルニア大学ロサンゼルス校名誉教授、専門は死生学)という博士がこんなことをおっしゃってるんです。70メートルもあるような橋ですから、飛び込めば必ず死ぬ。ところが、どの人もこの人も、決して海側を向いては飛び込まんというんです。やっぱり陸の方を向いて飛び込む。ということは、もういのちを終わってもいいと思うんだけれど、やっぱり最後にはどっかに未練を残すんだろうと、そういうのが人間ではないか。

本当に自分中心に生きておる私たちのあり方というものは、自分からは超えられないんじゃないでしょうか。

地獄、餓鬼、畜生がなくなるか、流転を超えるとはどういう意味かということをあらためて教えられますと、『教行信証』真仏土巻に「仏をまた地獄・餓鬼・畜生・人・天と名づく」とあります。ここは「修羅」を抜いて五道で語っておりますが六道と同じです。仏さまが地獄のなかにおられる、餓鬼のところにも、畜生のところにも、人間のところにも来ておってくださる、天のところにもお見えになる。仏はありとあらゆる形をとって、私たちの流転のただ中で出遇う仏さまとして、向こうからこちらに来ておってくださる。そのことに気がつく、「南無」と頭の下がるとき、私たちは期せずしてその世界をいただくのだ。こういうふうに教えていただくのではないかと思いますね。どうでございましょうか。

「弥陀の尊号となえつつ / 信楽まことにうるひとは / 憶念の心つねにして / 仏恩報ずるおもいあり」(正像末和讃)

みなさんが読んでおられる「弥陀成仏」のご和讃のいちばんはじめに「巻頭和讃」というのがあるんです。そこでは少し字が変わっておるんです。 「弥陀の名号となえつつ / 信心まことにうるひとは / 憶念の心つねにして / 仏恩報ずるおもいあり」(浄土和讃)

弥陀の尊号、「南無阿弥陀仏」とは向こうから私に送られたメッセージなんですね。お念仏は口から耳へなんですね。私の口から出たその名号を、もう一度私が聞き直している。こういう意味です。信心と言いましても、私が信ずるというようなことではありません。私が信ずるのは、あてにしておるだけですから。「信じてます」と言うときは、必ず不信のあるときや。信じているときには、そんなこと言うませんから。

「南無阿弥陀仏」ということばをいただいて「はい、そうでした」と頭が下ることを信心というのです。だから当然、信心は「如来よりたまわりたる信心」。ですが、それは如来よりたまわりたると「思う」ことじゃありません。事実なんや。「はい」とうなずいた、「南無阿弥陀仏」と申したその事実がすでに、如来よりたまわっておる世界なんだ。その事実に対するうなずきを「如来よりたまわりたる信心」というんです。だから、憶念の信は、むしろ仏さまにいつも思われておった私、「えらばず、きらわず、見捨てず」と如来の方から言っておってくださったそのことにはじめて出遇う。そういう願われてあった私に気がつくことが「仏恩報ずる」というわけでございましょう。

「南無阿弥陀仏」の「南無」は懺悔(さんげ)です。懺悔と感謝です。報謝の「謝」は感謝であると同時に謝罪というふうな意味があるのでしょう。そういう内容を私たちにいつも持っておるのが南無阿弥陀仏である、こういうことでありましょう。

こどもの詩にこんなんがありました。「トマト」っていう題です。

「お母さんがいつも弁当に入れてくれるトマトはいつもぐちゃぐちゃで / 僕は文句ばかり言っていた / 家庭科の時間に僕がトマトを切ったらもっとぐちゃぐちゃになった / お母さんごめんなさい / お母さんありがとう」

この「ごめんなさい」と「ありがとう」というその内容を持ってはじめて、常に私たちは無上尊に出遇うことができる。したがって、「無上尊」になりたいということは、限りなく仏さまを拝んでいく、限りなく拝んでいくということは、あらゆる人に対して限りなく尊んでいくということです。もちろん、その場合には必ず、失礼な見方しかしていなかった自分の厚かましさに頭が下がる。そして、限りなく尊んでいく世界をいただいていく。それが南無阿弥陀仏に開かれる人生です。私たちがこの世に生まれたということは、その無上尊となるべしということばをいただけば、南無阿弥陀仏と申したいと生まれてきたことを私たちの生活の上で本当にいただけるかどうか、こういうことでありましょう。

身近に言えば、本当に誰かに頭がさがったことがありますか、とこういうことでありましょう。本当に頭が下がって人に「成る」んですよ。親にも頭をさげたことがない。子にも、連れ合いにも頭を下げたことがない。そんなわが身に気がつけば、そこにお念仏の救いの深さへのうなずきと、生活の中での確かめということがなされていくことでしょう。あらためてそのことにうなずけてくるのではないか、そんなふうに思われてくることでございます。

ちょうど時間になりました。これでお話を終わらせていただきたいと思います。

(文責:蓮光寺門徒倶楽部)

松井憲一先生

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