蓮光寺報恩講 2006 日中法要
2006年11月3日(金)
講師: 近田昭夫先生(豊島区、顕真寺住職、75歳)
テーマ:「御恩」
誤字があったため、 '08年1月4日夜に修正を施しました。
誤: 九品
正: 久遠
ご紹介をいただきました近田でございます。今日はご住職から報恩講にちなんで、「御恩」というテーマでお願いしたいという宿題を頂戴いたしました。まだ結論に立ち至っておりませんけれども、今日は中間報告をさせていただきたいと思っております。
この「恩」という言葉は、「この方にはひとかたならぬご恩になって」とか、「あいつはずいぶん世話してやったのに恩知らずな奴だ。盆暮れの挨拶にも来ない」とか、さまざまに使われておりますが、親鸞聖人の教えをいただくお念仏の教えの中ではどうなるかと言うと、「仏恩・師恩」という表現がございます。
「仏恩」というのは、さきほど皆さんと蓮如上人の「五劫思惟の御文」を拝読いたしましたが、曽我量深[そが・りょうじん])先生が、「蓮如上人の御文が全部消滅したとしても、この五劫思惟の御文は残るであろう」とおっしゃいました。それはどうしてかと言うと、「南無阿弥陀仏という本願をたてましまして、南無阿弥陀仏となりまします」という一言なのです。「南無阿弥陀仏という言葉とお成りなされたこと、それが阿弥陀如来さまです」と、こういうことです。阿弥陀如来というと、このお寺の正面の木像の御本尊、そして皆さまのご家庭の「お内仏」(お仏壇)の中心に御本尊として安置されておりますのが絵像や木像の阿弥陀如来。これらは平たく言ったら仏像です。我々が手を合わせて拝む礼拝の対象であるということでは非常に大切でありますけれども、本当に「生きた仏さまのはたらき」に出遇わなければ、私が目覚めるということはないのです。
仏さまからご覧になると、私たちは生きたる死人なのです。自分では、結構生きているつもりですけれども、生き方がどこかで違っているのです。その私たちのあり方を、非常に仏さまが悲しがる。あなたがあなた自身であるというところに本当に生きるということが成り立つ。その道に立ってほしいというのが仏さまの我々に対する「愛」、つまり「悲願」でございます。
そこでその仏さまが「南無阿弥陀仏」という言葉となって「はたらく」というところに、阿弥陀如来の、他の仏さまと一味違うところがあるのです。ですから浄土真宗では、どこのお寺でも御本尊は阿弥陀如来だけです。仏教諸宗派の真言宗、天台宗という浄土真宗より歴史のある寺々へ行ってみてください。お寺によって、御本尊が決まっていません。ところが浄土真宗は、本山の東本願寺から、各お寺、そして皆さまのお内仏まで、すべて阿弥陀如来だけです。本山へ行っても、観音さんもお地蔵さんもないのです。観音さんやお地蔵さんがくだらないからという、そんな意味で言っているのではありません。私にとって時代がどれほど変わろうと、この私が本当に目覚めを得て救われるということにとってなくてならないのは、お地蔵さんでも観音さんでもないのです。阿弥陀如来、つまり「南無阿弥陀仏」という言葉となってはたらくという、その「はたらき」に出遇わなければ、この私において目覚めて救われるということは成り立たないということです。
よく宗教では救済という言葉を申しまして、救われるとか、たすかると言います。宗教的な意味で本当に「救われる」とか「たすかる」というのはどういうことなのかというと、これが案外はっきりしていないのですね。だから自分にとってご機嫌な状態になることを救われるとか、たすかると考えておりますけれども、どうも仏さまに言わせると、「それは一味違うぞ」と言われているようであります。どこが一味違うのかと言うと、仏教というのは自覚道なのです。仏道といいますね。「道」なのです。芸道・茶道・華道・武道・剣道・柔道、みんな道がつきますが、仏道は他の道と一味違います。仏道は自覚道と言っていたのです。一人一人[いちにんいちにん])の上に目覚めを得させて救うというのが、仏さまのおたすけと、救いということ、これは忘れてはならない一点です。
そういう仏教本来の伝統にのっとっておりますから、親鸞聖人の教えでは、いわゆる宗教産業で一番うま味のある、お願い事をするとかご祈祷をするということをやっていないのです。何を大切にしているかというと聞法、仏さまの教えを聞くことが大事なのです。蓮光寺のご住職は「お墓参りも結構だけれども、どうぞ仏法を聞いてください」とおっしゃるでしょう。ここが大事なところで、今日は時間の許す範囲内でご一緒に考えてみたいと思っているのです。
さて、仏さまの御恩はかけがえのないということを私に知らせてくださった先生のことを「師の恩」と言うのです。「仏恩」を具体的にいうと、「南無阿弥陀仏となりまします」と。さきほどの『御文』の中に「南無阿弥陀仏」というはたらきが、私の生活の事実として今現にここにはたらいてましますということが、私どもは御恩だと思わないのです。そんなことより、痛いところが痛くならなくなったとか、うちの嫁が言うことを聞くようになったとか、そういうほうが、私たちはありがたいのです。
仏さまの御恩は、なかなか受け取れないのです。だから仏さまから発信されているのですけれども、それを受信する受信装置が私たちにないのです。たまたまアンテナが立っているけれども錆びついていますからね。お墓参りや先祖の法事をしても、聞法するということがないなら、アンテナは立っているけれどもアンテナが錆びついてしまいます。だから仏さまからの発信が全然受け止められないでいるのと違いますかということになりますよね。
だから「南無阿弥陀仏」というのは向こうからの発信なのです。南無阿弥陀仏を「名号」というのです。名号というのは名前というのとそれから名告りということです。号というのは叫んでいるということ。「南無阿弥陀仏」というのは向こうから私に呼びかけ、私に叫びを上げておられるということです。「南無阿弥陀仏」と名告っているということは発信です。けれどもそれが受け止められないから、私どもには、なかなかわかりません。しかし、「私に先立って、如来からの発信を受信してくだされたお方がいらっしゃるからこそ、私が如来からのメッセージを受け止めてさせていただくことができた。そして今、晴れ晴れと私が私であるというところにどんと座って生きてられます」と、こういう人に遇うことが大事なのです。仏法というのは、本を読んだらわかるというものではないのです。勉強ではないのです。お念仏で救われた人に出遇わなければ、お念仏はわからないのです。お念仏が身に染みついたお方に出遇うことが大事なのです。
親鸞聖人の九十年のご生涯で一番の大きな出来事は何でしょうかと、もし親鸞聖人にお尋ねしたとしたら、おそらく「法然上人に出遇ったということ」とお答えになるのではないでしょうか。師匠、法然上人のことを「よき人」とこうおっしゃられています。良い言葉ですね。『野菊の墓』で有名な伊藤左千夫が『歎異抄』第2章の「よき人」という言葉を最も美しい日本語の中の一つであると絶賛しまいます。「よき人」とは、単に良い人という意味ではなく、「善知識」です。「恩徳讃」の中で、「如来大悲の恩徳は」が「仏恩」です。「師主知識の恩徳」が「師恩」です。この善知識に遇うということで、遇善知識(ぐうぜんじしき)と発音いたします。親鸞聖人にとっては、29歳の時に法然上人に出遇うことによって、お念仏に生きる道を歩まれたのです。
私たちが報恩講を大切に勤めるというのは、親鸞聖人がおいでになったからこそなのです。もし親鸞聖人がいらっしゃらなければ、本願念仏の教えに私が出遇うことはないのです。出遇うことがなければ、私はこの人生で一番大事なことがわからずに終わってしまったというところに、「師恩」ということがあるのです。
今、若い僧侶が非常によく、非常によく自主的な聞法会などをやっておられます。私は非常に嬉しいしありがたいことだなと思うのです。ところがそういう中に「私は何々先生のお陰でこういう教えにふれさせていただいた」と、まあ事実だから言うでしょうが、コンプレックスの裏返しになっているときがあります。「あの人はすごい先生に出遇えたけれども、自分はそういう先生に出遇ったことがない」と。そうするとですね、『歎異抄』の第6章で「わが弟子、ひとの弟子」という争いが起こっていくわけです。こういう問題がありますので、親鸞聖人という方は大事なのです。どんな人にとっても、時代を超えて久遠の善知識である。久遠の善知識というので、親鸞聖人のことを宗祖と仰ぐのです。宗祖というのは確かに、この浄土真宗の祖師という意味もございますが、もう一つ主体的に自覚的に言うと、誰にとっても時代を超えた久遠の善知識なのです。だから誰々先生に出遇ったとか、そんなことは問題ではないのです。親鸞聖人を久遠の善知識として仰いで、その親鸞聖人の言葉を手かがりに目覚めていくところに、初めて親鸞聖人を我が宗祖として仰ぐと、こういう意味があり、それが「報恩講」を大切に勤めようという精神にあいまっているのかと思うのです。
日本には名僧、高僧がたくさんいらっしゃいますね。例えば、天台宗を開いた伝教大師最澄、高野山を開いた弘法大師空海、禅宗の道元禅師、日蓮上人、そして親鸞聖人のお師匠である法然上人、実はこういう方々と親鸞聖人はちょっと違うところがあります。それは肉食妻帯[にくじきさいたい])をしたということです。魚も食えば妻も持つというのが肉食妻帯です。これはどういうことかと言うと、「在家」ということなのです。現在は、禅宗だろうが、日蓮宗だろうが、女房がいない寺はほとんどないです。しかし、元はそういったお寺に女性はいなかったのです。時々、建前と本音が違うのがありましたけれども、修行の妨げがあるというので、出家の集まりの所に女性はいらっしゃらなかったのです。高野山だって比叡山だって昔は女人禁制です。
「在家」の「家」とは、建物という意味ではありません。我々の生活がどういう生活をしているかということが、「家」という言葉で表現されているのです。具体的に言うと「業縁[ごうえん])の家」です。業縁の家というのは、のっぴきならないつながりの中でがんじがらめになって生きているという意味です。例えば、結婚がそうですね。結婚するというのは楽しいことですが、後で当てが外れることがあるでしょう。だから恋愛は美しき誤解に始まり惨憺たる理解に終わると言いますね (笑)。家というのは大事だけれども、業縁の家です。「プロポーズ あの日に戻って 断りたい」という川柳もありますね。なるほど一緒になったのはいいけれども、親兄弟から親戚とか、そのバックがあるわけですね。平たく言ったら結婚式から葬式まで声掛けねばならないなかで、嫌だというのは一人や半分くらいいるでしょう? 業縁の家というのは具体的に言ったら、人間関係と経済で振り回されているということです。だからそんなことをしていたら、自分が何の為に人間に生まれたのか、自分の人生の意味が見つからないというので、それを捨てて世捨て人になって道を求めたというのがご出家さまです。この在家というのはいろんな問題があるのです。人間が生きているということのいろんな問題が集中的に出ているのが在家なのです。出家というのは、寂しいけれども面倒くさくないのです。在家というのは、賑やかで楽しいことも多いですけれども、面倒くさいのですね。
仏教には「慈悲」という言葉があります。今の言葉で翻訳すれば親切といった意味で考えたらいいと思いますが、親切にもいろんな親切があります。仏さまの慈悲は大慈大悲(大慈悲)、私たちのは小慈小悲(小慈悲)です。大小というボリュームの問題ではなく質的に違うわけです。どこが違うかというと、私どもの慈悲のことを「衆生縁の慈悲」というのです。衆生縁の慈悲というのは、夫婦とか親子とか友達関係とか親戚という関係における相手に対する好意、親切ということ。これは確かに親切に違いないけれども、小慈小悲です。どうしてかと言うと、ものに順序が付くのです。例えば、私には孫が7人おります。毎年、お年玉で大変です。それで本当に喜んでくれる孫もいれば「あっ、ありがとう」と言ったきりも孫もいます。人間というのは面白いですね、礼は言ってもらいたいのですね。その孫が最もかわいいと思うのです。私はよく旅行にも行くのですが、あまりお土産買わないのです。ところがお釈迦さまのご仏跡巡拝でインドへまいりました時は、そうはいかないのですね。お土産も買おうと一番先に、私が目についたものは若い子が着る服なのです。つまり娘に買ってやりたいからです。それで娘のものをまず買いそろえて、そして「あっ女房がいたな」。そして空港へ来たら、「あっ、おばあさんのを忘れていた──」。面白いですね。これは良い悪いではないのです。やっぱり自分の子ども、次が連れ合い。親は3番手。そういうのを衆生縁の慈悲というのです。だから不徹底、不平等であるから、人間に真がないわけではないけれども、人間の真は「不真実」です。仏さまは「人間には真がない」とただ冷たく批判しているのではないのです。夫婦の情でも、親子の情でも、友情でも、人間には真があるけれども、全部不徹底、不平等であるから、不真実と言わざるを得ないということが、仏さまが本当に悲しみの涙を流されたということです。決して責めて批判しているお言葉ではないのです。そういうことを深く悲しまれたというのが、仏さまのお心ですね。
「如来の作願をたずぬれば、苦悩の有情をすてずして、回向を首としたまいて、大慈悲心をば成就せり」。これは親鸞聖人ご製作の「和讃」の一首でございますが。親鸞聖人は「如来の作願[さがん])」という言葉の左に注釈を付ける。あるいはご左訓というのですが、作願というのは、「弥陀如来の悲願を起こしたもうことを申すなり」と差訓しておられます。「苦悩の有情」の「有情」という言葉は、 sattva という古代インドの言葉を「衆生」[しゅじょう])と訳したのです。これは簡単に言うと、「いろんな生き方をしている人々」という意味です。だからあらゆる生きもののことを「衆生」というのです。ところが玄奘三蔵という方は、「衆生」と訳していた sattva という言葉を「有情」と訳した。さすがだなと思いますね。「有情」ということになると、自分の心で生きているものということです。
この間、ある聞法会で「あなたの現住所はどこですか」というテーマでお話しいたしました。我々の現住所はどこでしょうか。私は東京都豊島区××××です。これは私の現住所に違いないけれども、私は今、亀有の蓮光寺さんにいるのです。ですから私の名刺にある現住所は連絡場所にすぎないのです。私がいつも生きている生活現場ではないのです。では、私が生きている生活現場、私の現住所とはどこですかということです。
仏教で「三界」ということを言います。この私がどこに生きているかという時に、三界の中に生きていると仏さまはおっしゃるのです。それは「我が思いの中」に生きているということです。肩身の狭い思いと、鼻の高い思いの中を行ったり来たりして生きているのですからね。どっちに近いかでご機嫌になったり、がっくりしているだけの話なのです。そういう中に生きているから、「有情」なのです。自分の意識分別とか感情とか、そういう自分の思いに振り回され、その中から一歩も出たためしがないというわけです。そういう者が寄り集まっているのですから、隣に座っていたって本当に通ずるということはないということなのです。
私の家族は3世代の7人家族です。皆さん、一つ屋根の下で一つ釜の飯を一つテーブル囲んで食べていると、一つの世界に7人が共に暮らしていると思うでしょう。それが違うのです。私の所は世界が7つあるのです。一人ひとり世界が違うのです。たとえ夫婦水入らずといっても世界は2つです。夫婦だからといっても、男と女の世界と違うのです。私も2年ほどすると金婚式ですが、この頃、私の妻が、しげしげと私の顔を見て「あなたって、そういう人だったのね」と言うのです。50年近く夫婦で暮らしていて、今さら言うセリフでなかろうと思うのですが、夫婦だからとて、親子水入らずだからといっても、一つの世界だというのは我々の勘違いです。これを第一ボタンの掛け違いだというのです。
そこのところを仏さまが見抜いていらっしゃるのです。つまり人間というのはそれなりに真面目に考えて生きているのだけれども、発想法の原点が第一ボタンの掛け違い、あるいは勘違いという上に成り立っているから、この娑婆の日暮しというのは、虚構の出来事だと仏さまが言わざるを得ないのです。そういうことを本当に気づかせていただくのですね。一人ひとり世界が違います。それを三界というのです。一人ひとりが自分の思いの中で生きているのです。それでは本当に通じないのです。そのことを仏さま(如来)は、本当に悲しまれて、どうしたらあらゆるがその事実に気づいて、その心の垣根が破れるかということをテーマとし、それが成り立たねば仏にならないという誓いを立てたのが阿弥陀如来の「本願」なのです。それは具体的に言うと、南無阿弥陀仏という言葉によって、人々を目覚まそうと誓いを立てられたということです。
『大無量寿経』の中に「三誓[さんせい])」という言葉があります。正式名は、「重誓名声聞十方[じゅうせいみょうしょうもんじっぽう])」というのです。阿弥陀如来の本願は四十八願です。「四十八願」というのは、阿弥陀如来さまの御光は絵像でも木像でも四十八本あるのです。相撲で四十八手といいますね。四十八とは、あの手でいかなければこの手で、あらゆる手立てを尽くしてということです。そうして人々を目覚ますということですから、仏さまの悪戦苦闘を物語るのが四十八本の御光の数なのです。自分は勘違いをして生きてきたのだということにどうか気づいてほしいということ、そのこと一つです。
その四十八願をさらに重ねて要約して3つにおさめました。それは何かというと、観音さんやお地蔵さんやお薬師さんや、いろんな仏さまがいてすべてを目覚まして救うことを現になさっているけれども、そういう仏さまの救いの網に漏れた人がいる。それはどんな人かと言うと、「真の心」がないという点で、仏道から漏れている人なのだと。その漏れている人を漏らさずに救うというところに、私のはたらくべきところがあるということを思い立たれたのが阿弥陀如来という仏さまなのです。まず、他の仏さまから漏れた者を漏らさずにというのが第一。第二番目には、「普済諸貧苦[ふさいしょびんく])‥‥ 誓不成正覚[せいふじょうしょうがく]」 。貧しさに苦しむ者のために、大施主となろうと。法事の主宰者のことを施主というではないですか。阿弥陀如来が私たちに対して大施主となった。大施主というのは持っているものを分かち与えるという意味でございません。自分自身を投げ与えるということです。これは阿弥陀如来のすごいところですね。これは、いろいろな持ち物の中で素晴らしいものをあなたに分けて差し上げますというのではないのです。そういう慈善事業ではありません。私たちのために身を投げ出すと阿弥陀如来はおっしゃっています。それは何のためかというと、貧しさに苦しむ者を見過ごすわけにはいかないからだと。その貧しさというのは財布の中身ではありません。「真の心」がないということが、人生の貧しさだということです。その心の貧しいところでは豊かな人生が生きられる道理がないのです。そこで真の心のない者にどうしたらならば真の心を実現することができるかといったとき、実にこの私の事実を見通されてですね、ご苦労されながら、具体的に私を目覚まして救おうという“おはたらき”が、この私の上に現にましますということなのです。
「如来の作願をたづぬれば、苦悩の有情をすてずして、回向を首としたまいて」、「首」というのは慈悲のはじめの首ですから、つまり自分自身を投げ出し、投げ与えるということを第一としてということです。そこに大慈悲心を具体的に成就された。つまり南無阿弥陀仏という言葉と同じになされたというところに、阿弥陀如来は、今、現に蓮の台[うてな]に立っている。これは仏の座です。仏さまは仏の座に座っているのが、一番安定感があるのです。それを仏の座、御身を捨てて私の所へ現れようとしておられるのが、あのお立ち姿の阿弥陀如来ですね。仏の座に安閑と座ってはいられない、当人が迷っているということすら気が付かない者に目を覚まさせる救いということをどうしたら実現できるかとなった時に、「南無阿弥陀仏」という言葉になったのです。だから阿弥陀如来という仏さまは、御身を投げ捨ててということは、骨を砕き身を粉にしてなのです。身を粉にして骨を砕いてはたらきとおなりになれた。
ですから阿弥陀如来さまはどこにおいでになるかといったら、物を探すようにどこを探してもお出でではございません。ではどこにもお出でがないかというと、どこにでもまします。南無阿弥陀仏というその私に発信されているところお出でになります。私が「ああようこそ、私のような者のために」と気づいて、「南無阿弥陀仏」と言う。この時に初めて、発信されたものが受信されるという、仏さまとの応答が成り立っているわけです。そのところに私のような者が目覚めて救いをいただくように世界が開けてくるということなのではないかと思っているような次第でございます。
いろいろと申し上げたいこともまだございますが、だいぶお腹も空いてこられたでしょう。お疲れでございましょう。どうか皆さん、このお寺で聞法していただけますように、これからもよろしくお願い申し上げまして、私のお話を終わらせていただきます。ありがとうございました。